2017年8月6日日曜日

レンゾピアノが橋をつくったら

牛深ハイヤ大橋(7径間連続鋼床版,883m,1997)と、うしぶか海彩館


天草諸島の南端、牛深町を訪ねました。牛深ハイヤ大橋が目当てです。
完成した当初は橋梁雑誌で黒船襲来!のような印象だったと記憶しています。景観照明の美しさに驚かされました。20年経ち、公共構造物として評価されるにはいい年頃になりました。
ハイヤ大橋の路線は、牛深の市街地から山を越えた後浜流通加工団地へのアクセスとして、海岸沿いの市街地を通らないバイパス道として計画された橋梁です。橋もエポックメイキングなデザインですが、陸に場所がないなら海を突っ切っていこうという道路線形もかなり大胆です。
デザインは、「牛深の繊細な自然スケールに調和する者は、静的で単純なイメージである」という基本コンセプトにより究極に研ぎ澄まされた形態を追求しています。

設計は、かのレンゾピアノ、そして、構造にピーターライス。岡部憲明氏、伊藤整一氏。

牛深ハイヤ大橋は、熊本県が1988年から推進している「くまもとアートポリス」構想の参加事業です。この構想は後世に残る文化遺産を造ろうというものです。牛深ハイヤ大橋の著作権は設計共同体が有しています。国内の公共土木事業に著作権が発生したのは牛深ハイヤ大橋が初めてだそうです。

設計コンセプトに従い、橋梁は空に浮かぶ一本の線が強調されるように設計されています。桁の底面を曲線としているのは、視覚的に下部工と分断してみせるためです。
また、風除板で車からの視界が遮られないように、歩道が車道面より40cm下げて取り付けられています。
風除け板は耐風性や、歩行者の風防となり、歩行性をよくするためのものと説明されますが、このFRP製のパネルの考え抜かれた形状は、橋の表情を決めるものであり、譲れないものであったであろうことは想像出来ます。
風除け板により日射しやライトアップを受けて変える表情は、橋を一本の線に見せるために、桁の見た目の重心を上に上げることにも寄与しています。
このFRP風防をデザインして、発注者を納得させられるまで粘れる人・承認してもらえる人は、どちらにおいても、日本の公共構造の設計では実現不可能に近いものでしょう。材質、形状、また、ピーターライス氏の開発したDPG工法の取り付け金具にも似た品のいい金具。脱帽するほかありません。
ピーターライスは自伝で鋳物について、「鋳鉄の装飾や鋳鉄のジョイントを通して、その設計者なり建設職人の性格や技が構造に加えられている。そこに心血を注ぎ、しるしを残した人々によってたしかにその建物はうみだされたのだという証が、鋳鉄や鋳物のジョイントなのである。」と述べ、ポンピドゥーセンターの鋳物へのこだわりを記しています。このディテールへの愛着が通る人、私にもに愛着を湧かせることにつながっているのだと思います。
橋を線に見せるために支承の背が高い。
支承をなるべく目立たなくしようとする考え方はごく普通に発生しても、こんなにあっけらかんと空間に配置しようと発想できる人がいるでしょうか。
これも、コロンブスの卵的なもので、あてはめるには相当な確信を持つ必要があると思います。
橋の銘板。KAPは「くまもとアートポリス」の一環であることを示しています。
なんでもない壁だけど、いかにも建築家的なにおいがする階段。

支間は長く、3次元の曲面を持つとはいえ、構造はごくごく単純な桁橋なんです。それがここまで魅せる可能性を持つ。便利な場所ではないですが、橋に係わる全ての人にとって、この橋のために時間をかけて見に行く価値があると思います。

うしぶか海彩館 (内藤廣、1997)
牛深ハイヤ大橋の起点にある、うしぶか海彩館は、フェリー発着場に設けられた、待合所、観光案内などを持つ複合施設。魚市場のような屋根で覆われてはいるけど開放的な空間です。

設計は内藤廣。

牛深大橋と竣工はほぼ同時期ですが、橋の施工開始が1991年と若干早く、牛深大橋の計画を尊重して設計されています。説明では、「美しい弧を描いて港を横切る牛深ハイヤ大橋が敷地の中央を貫くという特殊な環境があります。土木的スケールを意識して、建物は橋と人間を繋ぐものと位置づけました。」とあります。
橋の裏側は、設計に関わる人には視察ルートの一部ですが、一般の方にとっては、”裏”で、いわゆるガード下の感覚かと思います。ところが、この海彩館では、橋が建物の施設のひとつのように、屋根の間隔が決められ、橋の下に建物間をつなぐ空間・広場が計画され、橋に呼応するように、微妙な高さに並行したアクセス用の通路橋が配置されています。
もちろん橋に見られるだけの力があることと、圧迫しないだけの高さが確保されているためであると思います。
牛深ハイヤ大橋と並行する海彩館のアクセス通路の延長部。デザインの共通性。

アクセス通路。床版と一体となった縦長の形状、橋脚と曲線を共有されており面白い一体感がある。この頼りなさげな縦長の形状にデザインされた歩道も大変気に入りました。
復元された船や生け簀が配置されている。使われる人の発想で変えられるような余裕があるように感じました。
鉄のフレームと木材の梁の接合。美術館・図書館など室内構造のディテイルより目的に合わせて材料や接合ディテイルがより簡便にされているよう。
このふたは何?柱にPCを入れた時のアンカー部?

海彩館一階でも販売されている牛深のあじのかまぼこ、天ぷら(はんぺん)は隠れた名品です。

うしぶか海彩館展示室
うしぶか海彩館の隣の展示室は、一階が牛深の郷土資料館、二階に軍艦長良記念館があります。なぜここに軍艦長良記念館が?と記念館を訪ねたところ、戦時中、牛深から約10キロの沖合で長良が潜水艦に撃沈され、半数以上がなくなり、一部乗組員が漁船で牛深に救助された歴史からだそうです。

記念館の開設の経緯は、佐々木ツルさんという方が人知れず慰霊されていたことに動かされた人たちの寄付により、資料収集、記念館が開設されたとのことです。
慰霊を続けられた佐々木さん、資料や遺品を寄贈された方、こういった方の思いが現実にのしかかる「維持費」に負けずにここに有り続けるというのは、とても貴重な行為を見た気がしました。本来は、積極的に知らなければならないことを怠りがちな私を含む世代への教訓として、末永く、一般の方の目に触れる場所に有り続けることを願います。

記念館に受付はとくになく、入室する際に自分で点灯して入室します。募金箱があるので、入場料を納めたい人は収めます。

牛深ハイヤ大橋と海彩館、アクセスは大変な場所ですが、とても魅力的な場所で、夏にはさぞ海がきれいで海彩館の2階で風に吹かれるのも気持ちがいいと思います。

私は八代でレンタカーをかりて、片道約130kmのドライブ。寄り道を除いて3時間かかります。だからこそ宝物にふれた気もするし、本当に行ってよかったと思いました。「くまもとアートポリス」プロジェクトが、それぞれの町にいい彩りを与えています。くまもと
アートポリスには2017年5月現在106の事業が参加しています。海外の都市で都市再生の一環で、一都市に有名建築家の作品が一気に更新されている例はいくつかありますが、このように、地域(県内)全体にわたって促進するという試みは珍しく、一過性ではなく、時間を掛けて成果が上がっていく先見の明のある優れた施策であると思いました。