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2025年7月17日木曜日

広島平和記念公園 、柱の回答。

広島平和記念公園 


広島平和記念公園 、原爆の子の塔(1958)

川口衛氏設計のブロンズ像の台座となる塔。川口氏の最初の設計だそうです。

非常にシンプルなデザインに意匠としても繊細さが感じられますが、RCシェル造を縦長にして構造面でも新しい物への挑戦ごころが見える面白いデザインです。

この塔に構造設計者としての矜持を認識させられたのは、その著作からでした。詳しくは
「川口衛、構造と感性、2015年9月」をご覧ください。
引用
「寿命の長いブロンズ製の像の台座として、それ相応の耐久性が必要であることはいうまでもない。設置後30年や50年で、クラックが入ったり、鉄筋の錆がしみだしてきたのでは、さまにならないからである。
きゃしゃな脚の塔を普通のコンクリート構造として施工したら、水の多い、しゃぶしゃぶのコンクリートを打たれてしまうことは、目に見えている。そこで、塔を縦に3等分し、各ピースを内面を上向きにして、工場でコンクリートを「平打ち」することにした。これなら、安心して固練りの密実な耐久性の高いコンクリートを打つことが出来る。これらのピースを組み立て、ジョイントの鉄筋を溶接し、接合部を固練りのモルタルで固めるという方法を考えた。
耐久性に関するもう一つの懸念は、足下からの水の「染み上がり」(毛細管現象)による劣化であった。これに対しては、ステンレスの鋳物の「沓」を履かせることで対応した。」

沓の写真へのリンク(川口衛構造設計事務所)
https://kawa-struc.com/%E5%8E%9F%E7%88%86%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%AE%E5%A1%94/?ref=langjp

この30年、50年先、ずっと生き続ける構造を想像し、形だけでなく経年後の姿を設計の要素として必須と考える姿が、本来インフラに関わる人間があたりまえのように持たなければならない技能ではないでしょうか。
近年でこそ、高速道路の更新などで初期の維持管理性の正当性が認められるようになりましたが、エンジニアはもともとこうした問題を知っているはずで、川口氏のように責任をもって構造設計に考えを取り入れる技術者が入ったプロジェクトは幸いであると思います。

いくつか見学していると、ひらめきが優れていてもファンになれない構造があります。
それは、数年で劣化したように見えるデザイン橋梁であったり、建築家さんが、完成時の写真をいかにきれいに撮るかに情熱を燃やしている姿を見るとなんだかなあと違和感を感じる瞬間であったりします。
川口氏の設計過程を読んで、そんなのあたりまえだ。と言ってくれたような気がしました。

平和記念資料館 (1955)

丹下健三、昭和24年36歳の設計コンペ。
柱の問題に唯一答えられた回答。
”柱”はどの橋でも必ずあり、意匠について様々な提案がなされています。多くは必要寸法に面取りやスリットを入れる、上端の横梁へのすりつけを工夫するのが標準的なアプローチで、どうしても付け焼き刃なアプローチから抜け出せません。

国内の土木業界では、施工の手間を最小=善が設計者にしみついており、わずかでも変わったことをしようものなら、型枠が、配筋が、と、設計を知らない者という目で見られることを覚悟しなければなりません。
施工が難しいことが耐久性につながることは事実ですが、程度がある話で、施工原理主義に陥っていないか、自信を持って判断するのも設計者の経験の積み重ねがなせる力だと感じるようになりました。

以前、溶接の疲労損傷の権威とされる先生が出席される場で、日本では架設ブロック間の継手を施工時間の短縮や精度確保のためにボルト継手が採用されることが多かった頃に、箱桁の外周を美観のために溶接で設計した橋を紹介したことがありました。このとき、先生から品質管理をすれば溶接の選択はいいと思うと言葉をかけられたことがあります。技術を知る人こそが固まった考えにとらわれないことを感じた時でした。

公共財ではない建築は別として、海外では、橋梁技術の進展が遅れた国や、美意識への追求が強い一部の欧州ではその制約は少ないように感じられますが、一方で、自由になったからといってそれほどデザインの幅がないのが柱です。

良い(悪くない。)ケースも景観を邪魔しないサイズを見出す、たとえば、桁の線の流れを阻害しないように極力細くする場合や、逆に大きく、ボリューム感で圧倒させることもあります。しかし、柱そのもののデザインが解を与えて感心したものは思い浮かびません。

この柱を除いて。

この丹下健三氏の柱は何千何万とある柱の中で、私の中で圧倒的な差を付けた解として存在しています。一本の柱として、コンクリートの素材を否定しないテクスチャとサイズ感、無機物にならない傾斜、あざとさが出ない曲線は、端部の断面積を減らしすぎず構造上に必要な有効断面を確保しながら柱ではない印象を与えている。
柱の群としては、正面から見たときに細く、ゲートとして見せる間隔。幅方向には涙型から矩形に移行する配置に違和感を感じさせない。

後で見返してもこれ以上の柱が世の中に作れるのかと、その感性と、おそらくここに至る試行修正の連続があることを想像し、世の中には届かないものがある気持ちにさせられます。

2017年8月6日日曜日

レンゾピアノが橋をつくったら

牛深ハイヤ大橋(7径間連続鋼床版,883m,1997)と、うしぶか海彩館


天草諸島の南端、牛深町を訪ねました。牛深ハイヤ大橋が目当てです。
完成した当初は橋梁雑誌で黒船襲来!のような印象だったと記憶しています。景観照明の美しさに驚かされました。20年経ち、公共構造物として評価されるにはいい年頃になりました。
ハイヤ大橋の路線は、牛深の市街地から山を越えた後浜流通加工団地へのアクセスとして、海岸沿いの市街地を通らないバイパス道として計画された橋梁です。橋もエポックメイキングなデザインですが、陸に場所がないなら海を突っ切っていこうという道路線形もかなり大胆です。
デザインは、「牛深の繊細な自然スケールに調和する者は、静的で単純なイメージである」という基本コンセプトにより究極に研ぎ澄まされた形態を追求しています。

設計は、かのレンゾピアノ、そして、構造にピーターライス。岡部憲明氏、伊藤整一氏。

牛深ハイヤ大橋は、熊本県が1988年から推進している「くまもとアートポリス」構想の参加事業です。この構想は後世に残る文化遺産を造ろうというものです。牛深ハイヤ大橋の著作権は設計共同体が有しています。国内の公共土木事業に著作権が発生したのは牛深ハイヤ大橋が初めてだそうです。

設計コンセプトに従い、橋梁は空に浮かぶ一本の線が強調されるように設計されています。桁の底面を曲線としているのは、視覚的に下部工と分断してみせるためです。
また、風除板で車からの視界が遮られないように、歩道が車道面より40cm下げて取り付けられています。
風除け板は耐風性や、歩行者の風防となり、歩行性をよくするためのものと説明されますが、このFRP製のパネルの考え抜かれた形状は、橋の表情を決めるものであり、譲れないものであったであろうことは想像出来ます。
風除け板により日射しやライトアップを受けて変える表情は、橋を一本の線に見せるために、桁の見た目の重心を上に上げることにも寄与しています。
このFRP風防をデザインして、発注者を納得させられるまで粘れる人・承認してもらえる人は、どちらにおいても、日本の公共構造の設計では実現不可能に近いものでしょう。材質、形状、また、ピーターライス氏の開発したDPG工法の取り付け金具にも似た品のいい金具。脱帽するほかありません。
ピーターライスは自伝で鋳物について、「鋳鉄の装飾や鋳鉄のジョイントを通して、その設計者なり建設職人の性格や技が構造に加えられている。そこに心血を注ぎ、しるしを残した人々によってたしかにその建物はうみだされたのだという証が、鋳鉄や鋳物のジョイントなのである。」と述べ、ポンピドゥーセンターの鋳物へのこだわりを記しています。このディテールへの愛着が通る人、私にもに愛着を湧かせることにつながっているのだと思います。
橋を線に見せるために支承の背が高い。
支承をなるべく目立たなくしようとする考え方はごく普通に発生しても、こんなにあっけらかんと空間に配置しようと発想できる人がいるでしょうか。
これも、コロンブスの卵的なもので、あてはめるには相当な確信を持つ必要があると思います。
橋の銘板。KAPは「くまもとアートポリス」の一環であることを示しています。
なんでもない壁だけど、いかにも建築家的なにおいがする階段。

支間は長く、3次元の曲面を持つとはいえ、構造はごくごく単純な桁橋なんです。それがここまで魅せる可能性を持つ。便利な場所ではないですが、橋に係わる全ての人にとって、この橋のために時間をかけて見に行く価値があると思います。

うしぶか海彩館 (内藤廣、1997)
牛深ハイヤ大橋の起点にある、うしぶか海彩館は、フェリー発着場に設けられた、待合所、観光案内などを持つ複合施設。魚市場のような屋根で覆われてはいるけど開放的な空間です。

設計は内藤廣。

牛深大橋と竣工はほぼ同時期ですが、橋の施工開始が1991年と若干早く、牛深大橋の計画を尊重して設計されています。説明では、「美しい弧を描いて港を横切る牛深ハイヤ大橋が敷地の中央を貫くという特殊な環境があります。土木的スケールを意識して、建物は橋と人間を繋ぐものと位置づけました。」とあります。
橋の裏側は、設計に関わる人には視察ルートの一部ですが、一般の方にとっては、”裏”で、いわゆるガード下の感覚かと思います。ところが、この海彩館では、橋が建物の施設のひとつのように、屋根の間隔が決められ、橋の下に建物間をつなぐ空間・広場が計画され、橋に呼応するように、微妙な高さに並行したアクセス用の通路橋が配置されています。
もちろん橋に見られるだけの力があることと、圧迫しないだけの高さが確保されているためであると思います。
牛深ハイヤ大橋と並行する海彩館のアクセス通路の延長部。デザインの共通性。

アクセス通路。床版と一体となった縦長の形状、橋脚と曲線を共有されており面白い一体感がある。この頼りなさげな縦長の形状にデザインされた歩道も大変気に入りました。
復元された船や生け簀が配置されている。使われる人の発想で変えられるような余裕があるように感じました。
鉄のフレームと木材の梁の接合。美術館・図書館など室内構造のディテイルより目的に合わせて材料や接合ディテイルがより簡便にされているよう。
このふたは何?柱にPCを入れた時のアンカー部?

海彩館一階でも販売されている牛深のあじのかまぼこ、天ぷら(はんぺん)は隠れた名品です。

うしぶか海彩館展示室
うしぶか海彩館の隣の展示室は、一階が牛深の郷土資料館、二階に軍艦長良記念館があります。なぜここに軍艦長良記念館が?と記念館を訪ねたところ、戦時中、牛深から約10キロの沖合で長良が潜水艦に撃沈され、半数以上がなくなり、一部乗組員が漁船で牛深に救助された歴史からだそうです。

記念館の開設の経緯は、佐々木ツルさんという方が人知れず慰霊されていたことに動かされた人たちの寄付により、資料収集、記念館が開設されたとのことです。
慰霊を続けられた佐々木さん、資料や遺品を寄贈された方、こういった方の思いが現実にのしかかる「維持費」に負けずにここに有り続けるというのは、とても貴重な行為を見た気がしました。本来は、積極的に知らなければならないことを怠りがちな私を含む世代への教訓として、末永く、一般の方の目に触れる場所に有り続けることを願います。

記念館に受付はとくになく、入室する際に自分で点灯して入室します。募金箱があるので、入場料を納めたい人は収めます。

牛深ハイヤ大橋と海彩館、アクセスは大変な場所ですが、とても魅力的な場所で、夏にはさぞ海がきれいで海彩館の2階で風に吹かれるのも気持ちがいいと思います。

私は八代でレンタカーをかりて、片道約130kmのドライブ。寄り道を除いて3時間かかります。だからこそ宝物にふれた気もするし、本当に行ってよかったと思いました。「くまもとアートポリス」プロジェクトが、それぞれの町にいい彩りを与えています。くまもと
アートポリスには2017年5月現在106の事業が参加しています。海外の都市で都市再生の一環で、一都市に有名建築家の作品が一気に更新されている例はいくつかありますが、このように、地域(県内)全体にわたって促進するという試みは珍しく、一過性ではなく、時間を掛けて成果が上がっていく先見の明のある優れた施策であると思いました。

2017年6月17日土曜日

東京のど真ん中の自碇式吊り橋代々木第一体育館

代々木第一体育館(中央支間126m、サグ9.654m、側径間44.893m;ブロック前、屋外露出部分まで。1964年9月)

設計は丹下健三、構造は坪井善勝、坪井善勝の元で川口衛が構造チーフ。
非常に稼働率の高い施設ですが、たまたまその合間に、海外のお客さんの案内の下見がてら内部を見学させて頂く機会を得ました。
外の敷地は自由に出入りして見られます。なぜか、見学者は少なく、外国人2人と日本人1人しか敷地内で見かけませんでした。

構造は、可撓性の高いメインケーブルによる吊構造を中心に、湾曲した鉄骨梁で形状を容易にコントロールできるようにした、セミリジッドと呼ばれる構造です。
主構造はケーブルですが安定しています。

屋内
この湾曲が造り出そうとした形状が、内部を見るとよく分かります。
客席は、コート中央に向かって、段数が増えていくために、中央部が盛り上がった上に凸な形状になります。このため、屋根も上に凸にしなければなりませんが、吊りケーブルは下に垂れ下がっているので、逆のカーブになります。この2つの逆向きのカーブをひとつの面ですりつけるために、川口衛が考え出したアイデアが、屋根を支えるメインケーブルに直角方向の支持材をハンガーケーブルではなく、剛な梁で屋根を支える方法でした。

吊構造の自然なカーブを損なうことなく、等間隔で並べられた梁のカーブがなだらかに変化しています。梁のカーブは力学的に自然なカーブではないので、意外と敏感な人間の感覚では違和感を感じてもおかしくないはずですが、そのような不自然さを感じません。このへんが丹下健三や坪井善勝らの巨匠と呼ばれる方達の力なのでしょう。
屋根の美しい曲面。ケーブルの曲線と客席上部の曲線が逆向きであることがわかる。ドームと吊り橋をむりやりひとつの平面でつなげなければならなかった形状。
曲げ部材が挿入されると強引さが生じ、構造合理性に満ちたシェル構造や、ケーブルネット構造の方が美しく感じそうなものですが、なぜか普遍性を感じさせる研ぎ澄まされた美しさが存在します。すごい。

屋根の内装はきれいです。2007年にアスベスト除去工事の際に改装されたのかもしれません。今後、2017年7月2日から大規模な耐震補強工事が始まるそうです。2020東京オリンピックではハンドボールの会場として使われます。
当時のプールは地中に残されたままで、表層に床材を並べています。

見学の前日までB-Liegeの試合があったはずなのに、ラインの跡など痕跡がまったくありまあせん。バレーボールのネットも支柱の穴とかないので、このままでは張れません。
どのようにフィールドを作るのかと思ったら、このフロアの上に、もう一段フロアを載せて、そこをフィールドにするのだそうです。

世界フィギュアスケートもここで開かれますが、アイススケートリンクは、スケートリンク用のフロアを設営した上に、5日掛けて水を張り凍らせてリンクを造るそうです。ほんの1,2日のためにと思うと、ものすごく稀少で誇り高い場所であることが分かります。
スケートリンク設営の様子がありましたので、リンクを貼っておきます。
http://www.jpnsport.go.jp/kokuritu/kankou/tabid/222/default.aspx
イベント設営の世界も恐るべき段取りをする世界ですね。
通路の天井は低めで年代を感じます。

ケーブル系

主構造は二本のメインケーブルによる支持で、メインケーブルから地上のアンカレイジにかかる水平分力は、アンカレイジと地盤の間の摩擦や前面抵抗ではなく、アンカレイジとアンカレイジを結んだストラット部材で反力を取るようになっています。つまり、中央支間126mの自碇式吊り橋です。鉛直分は2000tonのコンクリートブロックで反力を取っています。
フロア下のプールが不要となっても撤去できないのは、この水平力につり合わせている主構造の一部であるストラットに影響を与える怖れがあるためと考えられます。
ケーブルは1x127ロープ径52mmを31本。と1x61ロープ径34.5mmを6本の、合計37本で1ケーブルを構成しています。細いロープはロープを組合わせたときに出来る6角形の角にそれぞれ配置されています。
ロープはねじれて作られているので、捩れの方向でZ撚り、S撚りがあり、半数ずつを順番に積み上げるように配置されています。
(参考, 谷口運、ワイヤロープ技術発展の系統化調査, 国立科学博物館、北九州産業技術保存継承センター、技術の系統化調査報告 共同研究編第5集, 2012.3)

この当時、吊構造は国内初の長大吊り橋である若戸大橋が参考にされたそうです。若戸大橋のケーブルは5mmの素線を127本寄り合わせた直径61mmのスパイラルロープ55本と、5mmの素線を61本寄り合わせた直径36.6mmのスパイラルロープ6本の合計61本のロープを平行に束ねた直径508mmのケーブルです。
代々木競技場では、同じくスパイラルロープを平行に束ねたものが使用されています。

ちなみに、日本の吊り橋とロープの関係

1961 小鳴門橋, Lc=160m ストランドロープ;7x37 G/Oロープ
1962 若戸大橋, Lc=367m スパイラルロープ;1x127, 1x61
1964 (代々木第一体育館)
1968 緑川ダム吊橋Lc=188.5m、八幡橋Lc=160m パラレルワイヤ
1973 関門橋Lc=712m (1973)以降の本四架橋など パラレルワイヤ

参考、ブルックリン橋(1883) パラレルワイヤ

スパイラルロープの弾性係数はパラレルワイヤに比べると低く伸びやすいので、長大吊り橋には不向きですが、ストランドロープに比べれば高く、架設機材が小さくて済むのでロックドコイルとともに歩道吊り橋で使われます。

端部から中央に向けて16.82m広がる3次元ケーブル。本格的な道路橋の自定式3次元ケーブル吊り橋は、日本企業が設計・監理を行った韓国の永宗大橋(中央支間300m)が世界初だが、その35年前にここで作られており、その先進性がわかる。

ケーブルクランプはボールジョイントと呼ばれる球面で三次元の変形に追従する形状。これは架設時の設計・施工は楽ちん!
鋳造を建築物で使うのは珍しかったらしく、その後、大阪万博のお祭り広場の屋根(川口衛)で使われるのをピーターライスが見て、ポンピドゥーセンターで鋳物を使うきっかけになったそうです。
このコンクリートブロック内で空中スプレーされたストランドロープのアンカーがコンクリートで埋め殺されています。
ストランドロープと定着部。金物は埋まっていて見えず。
この奥に、定着構造があり、ケーブルの大きな水平力に抵抗するために、体育館の下に、アンカレイジから反対側のアンカレイジまで埋められたストラットに圧縮力が入れられています。
スプレーバンド
吊り橋のアンカレイジの中は、地下水面が近い高さにあったり、ケーブル内に侵入した水が降りてきたり、密閉空間であったり条件が悪いことから、じめじめして水がたまっていたりします。最近では奥屋内に除湿器を入れることが一般的です。
代々木体育館のアンカレイジは結露していたり、ケーブルに致命的な錆が出ていたりはありませんでした。湿度計があり、防錆についてもモニタリングされているようです。
湿度計。よく見えないが60%程度のよう。防錆の目安は50%なのでほぼ良好。

岡本太郎のモニュメントも多数残されています。南ロビーには5つの作品が壁を埋めています。
丹下健三、坪井善勝、川口衛と岡本太郎の組合せは日本の一時代の輝きを感じます。岡本太郎のモニュメントにここで出会うと、現在の建物が軽い軽いと笑われているような感覚に陥ります。
構造の先進性は次のオリンピックへ向けて構造家を挑発します。
こちらは志水晴児の岩のモニュメント。力強いです。ウルトラマンのロケでも使われたのだとか。

2017年4月6日木曜日

旧東海道線揖斐川橋の塗り替え工事

旧東海道線揖斐川橋の塗り替え工事 (Lc=63.65=200フィート, 明治19年;1886)

英国錬鉄製の200フィートの橋梁で唯一原位置に残るトラス橋です。形式はダブルワーレントラス桁。2008年に重要文化財の指定を受けています。
基礎は煉瓦積井筒基礎。奥に旧御殿場線の橋梁を転用した樽見鉄道揖斐川橋梁が見える。

見学したのは偶然で、北方町生涯学習センターきらり(磯崎新、佐々木睦朗)を見た後に移動していて、トラスを一径間丸ごと覆った豪快な塗装足場が目に入り立ち寄りました。
おかげで面白い橋梁の歴史を学べたので幸運でした。
上下側面全てのトラス部材を囲むように組み立てられた塗装防護枠

工事の方の説明では、塗装工事により、建設当初の鳶色に塗り直される。本年度はこの1径間だけで来年度以降順次塗り直されるだろうとのことでした。
歩道を通しながらの工事なので、ケレン作業で発生する微粉末を完全に遮断したコンパネの覆いが採用されたのでしょう。部材ごとに覆いを付けた場合でも、トラス橋の再塗装は大がかりです。
塗料の飛散の心配もあり、上弦材の横構の有無は維持管理への影響が大きいなあと感じました。
丁寧な目張り。いい仕事してますねー。

旧揖斐川橋の建設は、内閣鉄道局四等技師長谷川謹介及び六等技手吉田経太郎を中心として進められ、上部構造は、イギリス人技術者、C・ポーナルの設計に基づきイギリスのパテント・シャフト&アクスルツリー社で製作されました。

明治期の鉄道トラスは、明治末年にトラスが国産化されるまで、欧米の橋梁メーカーの製作に依存しており、輸入元の構造的な特徴から英国式、アメリカ式、ドイツ式と呼ばれます。それぞれの違いはトラスの格点構造の違いなどから明確に分かれています。
英国式トラスの特徴で上下弦材と橋門の剛性が高い。

上流の樽見鉄道揖斐川橋梁は1900年に御殿場線に架けられたアメリカ式のトラスです。戦後の資材不足の中、単線化され使用停止されていた御殿場線の5箇所の橋梁が樽見鉄道に転用されたそうです。
下流の現東海道線の揖斐川橋梁は1961年建設の三代目。ドイツ式トラスとの説明もありますが、明治期の橋梁製作・輸入国ごとの特徴で語られるドイツ式とはまた異なる分類と思われます。

旧揖斐川橋の材料は錬鉄です。鋼が錬鉄に変わって構造材として橋梁に使われたのは1890年代ころからです。始めて鋼が橋梁に使われたのは1874年のアメリカのイーズ橋で、1890年のフォース橋は鋼製、1899年のエッフェル塔は錬鉄と、1886年の揖斐川橋はちょうど錬鉄と鋼の過渡期に架けられています。

この揖斐川橋の10年後の1896年に架設された常磐線隅田川橋梁(その後、新鶴見操車場の江ヶ崎跨線橋、さらに後、2013年に山下公園近くの霞橋として再生)は同じ英国製ですが材料は鋼製で、揖斐川橋で見られる英国式トラスの特徴である太い上下弦材と橋門で構成されるラーメンや、斜材のピン定着は見られなくなっています。材料の開発によって最適設計が変わった一例です。

ちなみにイギリス人技師ポーナルは隅田川橋梁が架設された1896年に帰国しています。

実は江ヶ崎跨線橋は子供の頃だいぶ渡った橋なのですが、こんな由緒のある橋だとは知りませんでした。ただの狭くて古い橋だと。。
揖斐川橋には丁寧な説明があります。
アイバーによる斜材のピン結合。引張材には2枚のアイバー同士をつなぐトラス組がなく、設計の考え方が見えて面白いです。

場所は東海道線が揖斐川を渡る所。近くにねじりまんぼと呼ばれるねじれた煉瓦積みによるトンネルがあるようです。大きさは同じくらいのぎりぎり乗用車が通れる幅のトンネルが橋梁の近くにあるのですが、出口が急カーブで行くのも引くのも出来ない状況になりあせりました。

参考;五十畑弘ほか、錬鉄・鋼移行期における橋梁材料に関する考察~旧江ヶ崎跨線橋200ftトラスの事例より~、土木学会論文集D2, Vol68,2012