佐々木睦朗氏のシェル構造をもつ岐阜の建築2点
北方町生涯学習センターきらり (岐阜県本巣郡北方町、2007) 磯崎新と佐々木睦朗(構造)の作品
右側の高い部分が構造寸法を決めている火葬炉です。見学にあたって心に留めておかれるとよいと思います。
同じ佐々木睦朗氏がシェルの最適解を分析し、建築の屋根に適用した二作品を岐阜周辺で二点見学しました。構造の可能性が建築でどう生かされるか、構造デザインと意匠・空間デザインの比重を感じられるかと思いました。
佐々木氏の最適解の分析は、ひずみが小さい、つまり、曲げが小さくコンクリート向きの軸力構造になる形状を見つける作業を、当初は、繰り返し形状を変えて解析していたものを、パラメーターを与えると自動で計算出来るようなプログラムを開発して容易にあたりを付けられるようになっているそうです。(フラックス・ストラクチャー、佐々木睦朗著)
建築を見ながら考えたこととして、ひとつは構造は建築の特徴を決めるが、構造はある種の定義のようなものでそれだけが使用者が感じる空間を支配するものではない、この点は、インフラ構造と建築の大きな違いであり、インフラ構造物は設計において構造の要求が圧倒的で、空間が利用者の使用性に影響を与えることへの比重が小さい、その比率ってどのくらいが適性なのだろうと考えながら眺めていました。
インフラ構造に構造の比率が高くなるのは、求められる機能・耐久性と事業規模から来る必然でもあり、また、どこまで配慮するのがいいバランスなのか。ここが、愛される構造物なのか、単なる物体との分岐点なのでしょう。
このバランスを崩し、極端に意匠に走って、インフラ構造の設計寿命への認識が甘いものも見られますがそれはそれで気持ちのいいものではありません。
具体的に、瞑想の森で感じたことは、外から見た主に屋根・構造デザインに起因して感じる面白さと、一方で、室内に入ったときの斎場としての落ち着きを与えたり、曲面の構造の足や屋根が与える異次元の空間にいるような浮いた感じを与える空間の設計力(意匠といってしまうにはもっと実用に近いし、空間のデザイン力という言葉が私の感覚です。)は、同じ設計の中でも片方が出来たから直接的に相互につながるものではないということ。
それを緩やかに区分しているのが建築の分業体制なのかなとか考えました。それを分業の一方の頭が大きく占めることもあるし、割り切ることもあるのかなというのは建築部外者の想像です。
建設中の型枠の写真がこちらにあります。10+1 web site
最近は、ゲーリーの建築やオランダの橋梁で需要に応じて曲面型枠の技術革新も進んでいるようです。
もう一つの佐々木氏のシェル屋根をもつ、北方町の磯崎新のコミュニティーホールでは、磯崎氏は構造に手を出さない、最適解を優先とするというような(丸投げ)と読めるようなことを述べていますが、結局、最適解の条件を与え、かつ、その局面で構成される空間はおそらく磯崎氏のグループで組み直されるという分業がなされているのだろうと想像しました。いい構造物を成立させるための有機的な流れとして、シビルの人間として頭に入れておけるといいなと思いました。
単純な見た目で言うと、同じ佐々木氏のシェル構造を使って、伊東氏は特に窓際に立ったときの室内と外の境界としての使い方がうまいなあというのと、磯崎氏は、隣のマンションから上から見下ろされる建物として、金属板葺きの処理に気を遣っていたのが印象的でした。バルセロナの競技場の屋根と似た印象を感じましたが、あちらは金属網と陶器でした。同じ建築でも北方町の建物は住宅地に合わせるような落ち着いたトーンでした。
北方町の建物は、小さい空間に多くの曲面が詰め込まれている窮屈な印象を少し感じました。
北方町の建物は、小さい空間に多くの曲面が詰め込まれている窮屈な印象を少し感じました。
縁の樋の処理やら水の処理は悩ましい
瞑想の森の見学
朝9:00から9:30の間、職員の方が朝の準備をされている間に見学させてもらえます。
入り口で見学の旨を伝えて、記帳後見学します。
場所が場所だけに折り目正しい対応でした。
南に5km下ると各務ヶ原大橋(連続フィンバック)。こちらもいろいろ面白い構造です。
北方町生涯学習センターきらりの見学
閉館中でだれもいませんでした。全体を磯崎氏がコーディネートし、妹島和世も参加されている大型県営住宅ハイタウン北方の敷地内にあります。アクセスは岐阜駅から北方バスターミナル行きのバスが1時間に数本出ていました。所要30分。伊東豊雄氏のぎふメディアコスモス前からだと忠節で一回乗り換えのようです。
私はメディアコスモスで時間がかかってしまったので、翌日、車で行きました。駐車場にとめて周囲を歩いていたら、修繕工事をしていた方に入り口のチェーンと南京錠が掛けられて焦りました。
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