ブリタニア橋 (Britannia Bridge, 1850, 70+140+140+70)
コンウィ鉄道橋 (Conwy railway bridge, 1848, L_tube=129.2m, 94.5m:1899)
メナイ橋が架けられた頃に発明された鉄道がものすごい勢いで広まり、ホリーヘッドへ向かう鉄道路線のために必要になった、メナイ海峡を渡る橋として、ブリタニア橋が架けられました。
コンウィ鉄道橋も同じ路線上に同時期に架けられました。
ケーブルに鉄を使った吊橋を除けば、錬鉄橋の最大支間が10m程度だったころに、支間140mの錬鉄製の16mmの薄板を組み立てた補剛構造のチューブの中を鉄道が走る、規模も構造も超画期的な橋でした。
材料革命により、それまで見たことがない構造物が現る。です。
設計はロバートスティーブンソン。
現在のブリタニア橋。火災で焼失する前の橋は、スチーブンソンJr.により設計された鋼製のチューブ橋でした。再建された橋は、上路が再建時に追加された道路、下路が鉄道。
架け替え前は、2層の桁の場所に、下のコンウィ鉄道橋のような箱が乗っていました。塔は開業時のまま。
ブリタニア橋の架橋地点は海峡なので、31.6mの桁下空間が確保されています。
Conwy鉄道橋。同時期に建設されたスティーブンソンのチューブ橋の唯一の生き残り。
支間中央がすこし高い。排水?剛性?
チューブのサイズは、
旧ブリタニア橋 4.5m x 9m x 140m 1500トン
コンウィ鉄道橋 4.4m x 6.9-7.8m x 129.2m 1320トン
コンウィ橋の支間途中の2つの橋脚は、鉄道の重量増に対応するために1899年に追加されたもので、支間は94.5mになりました。橋脚は鋳鉄製でコンクリートで充填されています。この時代の橋脚の形はマンチェスターの市街でも見られます。
構造
ブリタニア橋では、スチーブンソンの推す楕円形など、いくつかの断面が検討され、製作の容易なリベット止めの矩形断面が採用されました。架橋前に、なんと、支間23.8m, 1/16の模型で試験を行ったそうです。
いきなり見たことがないものが姿を現した。は正確ではなく、慎重な、慎重な、試行の上に、安全であるべくして完成しています。
16mmの板を組合わせて座屈耐力を高め、圧縮フランジとする活用法は、鋼材の特性を理解した効率的な使い方で、現在の設計思想と変わりません。本当に驚かされます。
追加支点部の垂直補剛材は、あとで追加されたものと思いますが、板の継ぎ手が密な垂直補剛材になっているのはたまたまでしょうか。錬鉄の板のサイズがこの大きさだとロイヤルアルバート橋の説明で見た記憶がありますが、せん断パネルの補剛効果がきちんと考えられていると推察します。
橋には、鉄のチューブを雨から守るために、両方の箱を覆う12m幅の木製の屋根が掛けられ、その屋根はタールが塗られた麻布で覆われました。これが、1970年の火災でチューブを変形させ、掛け替えに至る原因となりました。
火災は、チューブの継ぎ目のタールに引火し、木製にタールを塗った屋根に燃え移り、その熱で致命的な損傷を受けました。
現在の橋は旧チューブを撤去し、アーチ橋に架け替えた物です。
火災の後に曲がってしまったチューブは下記リンク
http://nrhenllys.magix.net/public/tomholland3.htm
熱影響で、各支間が490mmと710mm垂れ下がったそうです。
橋脚は、スチーブンソンの時代のままです。航路には障害になるようなアーチが選ばれたのは、新橋建設時に追加される道路橋の荷重を、古い橋脚に負担させないためと考えられます。
現代では、140mの鉄道橋はたわみにくいトラスがほとんどで、桁形式は見かけません。その点でも稀少な形態の橋でした。
架設
中央支間は、高い航路高、水深が深いことから支保工が立てられず、140mのチューブを岸壁で組み立て、蒸気機関による水圧シリンダーで一括架設されました。吊り上げられた大ブロックは1500tonで、現代でも大規模工事の部類です。160年前にそれが可能と考えた技術者たちの挑戦は想像を絶します。
桁を吊り上げる水圧シリンダーは、塔の上部にセットされ、シリンダー径510mm、シリンダーの厚さ280mmの鋳鋼製でした。この厚さでも、蒸気が漏れ、ピストンの頭とチューブを吊るチェーンの合計50tonが落下する事故があったそうです。1ストロークは2mでこれを繰り返し30mの高さまで持ち上げられました。(Hydoraulic Furuid Power, A Histrical Timeline, Steve Skinner, 2014)
参考に、ジャッキアップの写真のリンク
https://www.gracesguide.co.uk/File:Im1850BC-7.jpg
この架設技術は、ブルネルのロイヤルアルバート橋でも使われています。
1500トンの大ブロック架設も、薄板を組合わせる鋼材の特性を理解した活用法と同様に、設計当時には参考にする事例が全くなかった時代です。考え抜いた結果は、現在の鋼橋の設計、架設方法と基本的な考え方は同じという恐るべき成果です。
薩英戦争がこの橋の完成の13年後。欧州でも最先端を走っていたイギリスと、日本とだいぶ差をつけられていた時代です。
Conwy鉄道橋入り口。城壁をぶち抜いているように見えますが、これは城壁に似せた橋台の飾りです。
チューブ橋は走行中の見晴らしは良くありませんが、剛性が高くたわみにくいので鉄道向きです。単純な形でありながら、ちょうど似た幅の角形の橋脚との組合せのシルエット(ブリタニア橋)、外の板継ぎのアクセントが魅力的です。
スティーブンソンはさらに断面を楕円にすることを薦めていたというのだから、魅力的に見せることにも腐心していて、材料一辺倒、数学一辺倒のような、専業であるべきではない一箇のエンジニアという人間が垣間見えます。
ライオン
ブリタニア橋の橋台位置には四頭のライオンが橋守をしています。
このライオンは、完成時には鉄道路面の高さにあった台座の上に高々と鎮座していましたが、新しい橋は、鉄道橋の上に道路が走る二層構造となったために、道路に隠れるようになってしまいました。
今も、ちょうど、鉄道の高さにいます。
遊歩道をトレッキングする人も立ち寄るちょっと愛嬌のある顔した有名人です。
新しい橋では、鉄道は単線で運用されており、片側分空いています。鉄道の運行数は少なく、踏切は手動でした。自動車の時代ですね。