2017年4月6日木曜日

旧東海道線揖斐川橋の塗り替え工事

旧東海道線揖斐川橋の塗り替え工事 (Lc=63.65=200フィート, 明治19年;1886)

英国錬鉄製の200フィートの橋梁で唯一原位置に残るトラス橋です。形式はダブルワーレントラス桁。2008年に重要文化財の指定を受けています。
基礎は煉瓦積井筒基礎。奥に旧御殿場線の橋梁を転用した樽見鉄道揖斐川橋梁が見える。

見学したのは偶然で、北方町生涯学習センターきらり(磯崎新、佐々木睦朗)を見た後に移動していて、トラスを一径間丸ごと覆った豪快な塗装足場が目に入り立ち寄りました。
おかげで面白い橋梁の歴史を学べたので幸運でした。
上下側面全てのトラス部材を囲むように組み立てられた塗装防護枠

工事の方の説明では、塗装工事により、建設当初の鳶色に塗り直される。本年度はこの1径間だけで来年度以降順次塗り直されるだろうとのことでした。
歩道を通しながらの工事なので、ケレン作業で発生する微粉末を完全に遮断したコンパネの覆いが採用されたのでしょう。部材ごとに覆いを付けた場合でも、トラス橋の再塗装は大がかりです。
塗料の飛散の心配もあり、上弦材の横構の有無は維持管理への影響が大きいなあと感じました。
丁寧な目張り。いい仕事してますねー。

旧揖斐川橋の建設は、内閣鉄道局四等技師長谷川謹介及び六等技手吉田経太郎を中心として進められ、上部構造は、イギリス人技術者、C・ポーナルの設計に基づきイギリスのパテント・シャフト&アクスルツリー社で製作されました。

明治期の鉄道トラスは、明治末年にトラスが国産化されるまで、欧米の橋梁メーカーの製作に依存しており、輸入元の構造的な特徴から英国式、アメリカ式、ドイツ式と呼ばれます。それぞれの違いはトラスの格点構造の違いなどから明確に分かれています。
英国式トラスの特徴で上下弦材と橋門の剛性が高い。

上流の樽見鉄道揖斐川橋梁は1900年に御殿場線に架けられたアメリカ式のトラスです。戦後の資材不足の中、単線化され使用停止されていた御殿場線の5箇所の橋梁が樽見鉄道に転用されたそうです。
下流の現東海道線の揖斐川橋梁は1961年建設の三代目。ドイツ式トラスとの説明もありますが、明治期の橋梁製作・輸入国ごとの特徴で語られるドイツ式とはまた異なる分類と思われます。

旧揖斐川橋の材料は錬鉄です。鋼が錬鉄に変わって構造材として橋梁に使われたのは1890年代ころからです。始めて鋼が橋梁に使われたのは1874年のアメリカのイーズ橋で、1890年のフォース橋は鋼製、1899年のエッフェル塔は錬鉄と、1886年の揖斐川橋はちょうど錬鉄と鋼の過渡期に架けられています。

この揖斐川橋の10年後の1896年に架設された常磐線隅田川橋梁(その後、新鶴見操車場の江ヶ崎跨線橋、さらに後、2013年に山下公園近くの霞橋として再生)は同じ英国製ですが材料は鋼製で、揖斐川橋で見られる英国式トラスの特徴である太い上下弦材と橋門で構成されるラーメンや、斜材のピン定着は見られなくなっています。材料の開発によって最適設計が変わった一例です。

ちなみにイギリス人技師ポーナルは隅田川橋梁が架設された1896年に帰国しています。

実は江ヶ崎跨線橋は子供の頃だいぶ渡った橋なのですが、こんな由緒のある橋だとは知りませんでした。ただの狭くて古い橋だと。。
揖斐川橋には丁寧な説明があります。
アイバーによる斜材のピン結合。引張材には2枚のアイバー同士をつなぐトラス組がなく、設計の考え方が見えて面白いです。

場所は東海道線が揖斐川を渡る所。近くにねじりまんぼと呼ばれるねじれた煉瓦積みによるトンネルがあるようです。大きさは同じくらいのぎりぎり乗用車が通れる幅のトンネルが橋梁の近くにあるのですが、出口が急カーブで行くのも引くのも出来ない状況になりあせりました。

参考;五十畑弘ほか、錬鉄・鋼移行期における橋梁材料に関する考察~旧江ヶ崎跨線橋200ftトラスの事例より~、土木学会論文集D2, Vol68,2012

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