2017年12月9日土曜日

曲線の線形を持つトレインシェッドその2(ホリーヘッド駅)

ホリーヘッド駅 (Holyhead railway station, 1848開業, 現在のトレインシェッドは1866)

ニューカッスル駅とヨーク駅の二大曲線ターミナルにつづいて、この駅も曲線を持ち、かつ、旅する者に特別な印象を残すトレインシェッドを持つ駅です。
ウェールズ一帯はArriva Trains Walesが管理しています。
ホームが長い。列車が遠い。
ホリーヘッドは、ウェールズの北の端、アイルランドの首都ダブリンへの定期航路がある町です。プラットフォームを到着した方向に歩いていくと、そのまま、ダブリンへのフェリーポートになります。青函連絡船があったころの青森駅を彷彿とさせます。
いいですね。いかにも旅の駅です。
ホームを直進するとフェリーポートです。フェリーがない時間は閑散としています。

世界最初に営業運転を開始したストックトン・アンド・ダーリントン鉄道が1825年、有名なスティーブンソンのロケット号が走ったリバプール・アンド・マンチェスター鉄道が1830年に開通してから、イギリスの鉄道網は1850年には爆発的にイギリス全土に拡がります。そのネットワークは1850までのわずか20年の間に10,000kmに到達します。

この鉄道網の発展が、錬鉄の製造時期と重なり、鉄製の魅力的な橋、ロイヤルアルバート橋、ハイレベル橋、ブリタニア橋やトレインシェッドが作られ、現代に遺されています。
産業革命、交通”革命”とはよく言ったものです。
ロケット号のレプリカ。ヨーク国立鉄道博物館にて。
動輪の径は大きくして、シリンダーを配置する場所が限られて斜めに、煙突は運転席に煙がかからないように前に、高く、、、と合理的な思考でこの形になったのかもしれませんが、同じスティーブンソンのハイレベルブリッジといい、どうしてこうも魅力的な形が世に残るのだろう。専門性が高度で細分化されすぎる以前の昔の人の、算術に通じ、剣術に通じ、書もたしなむといった個人の素養の違いなのか。

ホリーヘッド駅はリヴァプールと共に貨物積み出し港として、また、アイルランドへの玄関口として、鉄道もこの時期1848年に開業しています。
往時は5つのプラットフォームがあったらしいので、トレインシェッドもいくつかあったのかもしれません。1列だけあるトレインシェッドの形はクイーンポストトラスの亜種です。日照は大事にされていて明るいです。

日本の歴史も入れて並べてみるとこんな感じ。
こう見ると、なにげにホリーヘッド駅も歴史的建造物です。

1825年 ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道開業(ロコモーション号)
1826年 メナイ橋(錬鉄チェーン)
1830年 リバプール・アンド・マンチェスター鉄道(ロケット号)
1849年 ハイレベルブリッジ(錬鉄、鋳鉄)
1850年 ニューカッスル駅
             イギリスの鉄道網が10,000kmに達する。
1853年 黒船がやってくる
1859年 ロイヤルアルバート橋(錬鉄、鋳鉄)
1866年 ホリーヘッド駅
1868年 明治元年。くろがね橋(日本最初の鉄橋:錬鉄)
1872年 新橋ー横浜に鉄道開業(橋は木橋)
1874年 70ftトラス鉄道橋39連を輸入・架設(英国製錬鉄)
1883年 ブルックリン橋(鋼鉄ケーブル)
1886年 200ft揖斐川橋(英国製錬鉄)
1888年 ゴッホがひまわりを描く
1889年 東海道線全線開通

私は、この駅を出たところに2006年にできたステンレス製の歩道橋Celtic Gateway Bridgeを見て、すぐに、乗ってきた列車の折り返し運転で帰りました。
変な無人駅から乗って、折り返したので、「おやまあ、あなたはどこへ行くの?」と、車掌さんの頭に???が浮かぶのはごもっともです。
乗車した駅。世界一名前が長い駅
スランヴァイルプールグウインゲルゴウゲールウクウィールンドロブウリスランダスイハオゴゴゴッ駅。お客がいないと通過されてしまう駅。ブリタニア橋の最寄り駅です。
Celtic Gateway Bridge。駅を出て左手。

曲線の線形を持つトレインシェッドその1(ニューカッスル駅とヨーク駅)

ニューカッスル駅(Newcastle Central Station 1850)

プラットホームが曲がっていて、かつ、トレインシェッドが超かっこいい駅を2つ。
一つは世界最初のアーチリブ式トレインシェッドのニューカッスル駅。
建築家John Dobsonジョン・ドブソンが、鉄道技師Thomas Prosserトーマス・プロッサーやスティーブンソンと協力して設計。トレインシェッドが完成したのは、近くでタイン川を渡るスティーブンソン設計のハイレベルブリッジが開通した翌年の1850年。
平面に半径240mの曲線線形を持つトレインシェッドはタイロッドを持つアーチの三連で16.8mx3=50.4mのスパン。
屋根は鉄骨アーチとガラスの組合せです。

旅客鉄道として世界最初の駅はスティーブンソンによるリパブール・クラウンストリート駅で1830年です。1837年にはブルネルによる第一期パディントン駅(木造のキングポストトラス)が完成。この最初の駅から15年後に、このような魅力的な大空間が鉄構造で生み出されています。

パディントン駅がブルネルにより現在の鉄製アーチタイプになったのは1853年なので、大規模なアーチリブ形式としては、このニューカッスル駅が世界最初のアーチ式トレインシェッドです。
それまでに、鉄を使ったトレインシェッドはありましたが、形状としては三角形の切り妻型になるポロンソートラスや、ポストトラスでした。
 2番線のとなりに9番線。ややこしい。 
ニューカッスル駅のアーチはタイロッドが用いられています。
装飾は比較的おとなしい

ヨーク駅 (York railway station, 1839開業、現在のトレインシェッド1877年)

ニューカッスルから列車でまっすぐ行けば一時間、ヨークに到着です。
イギリスは、特急料金がなく座席指定もなくても乗車できるので、ブリティッシュレールパスがあればチケット購入の時間を考える必要がなく本当に楽です。

ニューカッスル駅の設計に携わったトーマス・プロッサーは現行のヨーク駅(1877年。スパン24.7+16.8+16.8+13.1=71.4m)の設計をしています。
ヨーク駅はニューカッスル駅と同様に平面曲線を持つトレインシェッドで、大変旅情をかき立てられる駅舎です。
天井が高く、塗装のリハビリは丁寧にされているようで、古い重苦しさはなく、明るい気持ちで町の玄関に到着します。


見た目はよく似ていますが、ヨーク駅にはタイロッドがありません。わずかな差ですが、タイロッドがないと煩雑な印象がなく上品な印象を受けます。
アーチの基部にかかる水平力が小くなるように、アーチ橋と比べてアーチライズが高いようです。ヨーク駅は幅、高さ比が8:5。柱部分を除いてもアーチのライズは1/3はありそうです。一般的なアーチ橋1/5-1/6に比べるとドームに近い印象。

また、ニューカッスル駅から27年経って、余裕が出てきたのか、装飾や部材の形は凝っています。

ウェブの穴抜きがしゃれている
アーチリブの接合部を剛にしたかったのか?構成する曲線も主張があって面白い

なお、ヨーク駅もニューカッスル駅も、1.5世紀の間に拡張を重ねており、プラットフォームはどこにあるのか探すのが大変です。1列のホームに2つ番号があるのは当たり前。スモールaがついたり、櫛形ホームだったり。
ヨーク駅はちょうど訪問した日が有名な記念日で、酔っぱらいが充満していたのですが、トイレのある4番線の場所が番号順にならんでおらず、駅構内の跨線橋を右往左往する人(私を含む)が見られました。 2番線の向こうが8番線で。。
 ヨーク駅構内のパブにて。タップ数の多いこと。

参考 19世紀から20世紀前半のヨーロッパの駅建築空間~駅本屋とトレインシェッドの関係に着目して~ 金井ら 土木計画学研究・論文集 No.17 2000.9

2017年12月8日金曜日

スティーブンソンの鋼橋ハイレベルブリッジ

ハイレベルブリッジ (High Level Bridge, 1849)

ニューカッスルのタイン川には、鉄の橋の黎明期と現代を代表する橋が揃っています。
こちらは黎明期の橋。Newcastle Central駅からすぐ、徒歩5分。
町の高さに架けられたハイレベルブリッジと手前のローレベルに架けられた旋回橋

ハイレベルブリッジは、ニューカッスルとゲーツヘッドを結ぶ支間125ft=38.1mの鋼橋です。ニューカッスルの市街地はtyne川で削られた平地部の上の丘にあり、町と町を結ぶには、文字通りハイレベルな高さに橋を架けることになります。下流に新しく架けられた現代の看板橋梁のひとつゲーツヘッドミレニアムブリッジは川岸の高さに掛けられたローレベルブリッジです。

設計はRobert Stephenson(stíːvnsən)。橋の設計で有名なのはスティーブンソン親子の息子の方です。スティーブンソンはここニューカッスルの出身です。
ニューカッスル側入り口
リハビリ後はニューカッスルからゲーツヘッドへの一方通行となり、バスとタクシーのみ通行が許され、3トンの重量制限がされています。鉄道は斜め横から上路に入ってくる。
ゲーツヘッド側出口

1947年鋳鉄製のDee橋(スティーブンソンの設計)の落橋から1959年のロイヤルアルバート橋の開業の間に、イギリスの鉄道網の発展とともに錬鉄を使った技術革新による長大橋が次々に架けられています。ハイレベル橋は、チューブのConwy橋1847年とブリタニア橋(旧)1850年の後に設計され、完成は2つの橋の間の1849年です。
チューブ橋も桁高を高く取った自由な発想の橋で好きですが、設計思想としては、軸力部材を使った方が無駄がなく、スマートな設計になったという評価がされているかもしれません。
私は、ただの工業製品と感じられない自由さがあって両方とも好きです。

図面を手で引くと、自然に、人間の息吹が感じられるんですかねぇ。リブの間隔とか、添接の形をとっても、あながち手仕事とデジタル仕事の差があるという情緒的な解釈は間違っていない気がします。
最新の橋は、溶接構造、さらには、グラインダーがけが、最近の鋼橋の美観を確保する手段で、たしかにそれも多くの場合正解だと思いますが、隅田川の橋の添接を見てもじっと眺めていたくなるようなものがあります。

材料は、アーチリブは鋳鉄製、吊材は錬鉄製となっています。引張に対してもろい鋳鉄をアーチリブのみに使っているのは合理的です。また、当時は錬鉄のリベット接合が信用されていなかったためアーチリブには使われなかったという理由も記述されています。
160年の間に、鉄道が3レーンから2レーンになったり、路面電車が走り、鉛直材が追加になったり上路が鋼床版に変えられたりいろいろ変遷があったようです。
 下流の鉄道路線を代替する橋梁

鋼材重量は5500ton。1100kg/m2と今のそのへんの高架橋と比べると3倍以上の鉄の塊がむき出しなので、見た目にも重量感があり鉄好きには大迫力です。
構造は、下弦材が弱そうですが、構造系はローゼアーチです。世界初の道鉄併用橋で、アーチの上下路に走行部があるという、ロイヤルアルバート橋と共に、オンリーワンな構造形態がこの時代に作り出されているというのは驚異的です。
現代のように構造にカテゴリー分けがなく、力の流れに従い自然に発想した結果なのかもしれません。
鉄、鉄、鉄
アーチは2面で一組。水平に結合されたアーチの中が歩道です。

2001年から2008年に3年間の下路の道路部分を閉鎖して、42milポンド=63億円を掛けたリハビリが行われています。新設橋並の費用を掛けた、産業遺産のリハビリは、強烈にひび割れた部材の補修、見えない床組部材の新設、床版の取り替え、装飾品のリハビリも含む、それこそ架け替え並の大工事が行われたようです。
面白いのは、床版は、きちんと木材床版で修復され、その上にアスファルト舗装がされています。
下から覗くと、木材床版がわかります。検査車が新設されたそうです。

重厚感の中の曲線と橋脚のあざとくない装飾、脚のスケール感が上部工とバランスが良いです。色もいい組合せ。年代の落ち着きは追いつきようがないですが、地形の一部のような安定感の好ましさを見ると、橋単体の軽快さと逆のアプローチもあるのかなと考えさせられます。

イギリスで大事にされている産業革命終盤の遺産が生活に息づいている様子を見ると、イギリスがヨーロッパに対して特別な地位を持っていると考えることの背景が少しだけ理解できる気がします。ブレグジットもいたしかなたし。。
やはりその時代、イギリスは圧倒的に世界のパイオニアだったんだなあということと、その精神を尊重にする現在のイギリス社会。
最近、BBCをインターネットで聞くのですが、BBCで聞く英国議会の激しい議論の応酬も議会内に積み重ねた伝統に対する自負が感じられ、伝統の力が生活から乖離していないのかなと想像します。

2017年9月24日日曜日

ミレニアムドーム改めThe O2

The O2, Millennium Dome, 2000

変わったポンツーン橋や回転橋のある新興のビジネス街、カナリーワーフから地下鉄で一駅、グリニッジ半島の先端にあるThe O2に寄りました。
設計はリチャード・ロジャース。構造設計はBuro Happold。
直径365mの世界最大のドームは、展示会の開催を目的に建設されたもので、展示会が終わって一度公開終了して再オープンしています。
当初は、期待を大幅に下回る入場者数、元々の大気汚染のひどい地域の印象であまり良いイメージで語られなかったようです。
現在は通信会社O2に命名権が与えられ、見学時には複合施設として観光客が多く訪れて賑やかでした。

ドームは12本のマストから繊維の屋根が斜吊りされた構造です。
膜はポリエチレンでは紫外線に弱いため、PTFEコートされたグラスファイバー製が選ばれています。25年以上の寿命があるそうです。PTFEコートは水に弱いグラスファイバーの保護用です。

膜構造の屋根は見た目にはサーカスのテントを大きくした感じで、特別なようには思いませんでしたが、365mという大きさになると、ケーブルアンカーも柱もなかなかの迫力です。
サーカスの屋根
http://www.archiexpo.com/ja/prod/canobbio/product-55251-1003511.html

タワーは長さ90mで324mmのパイプ8本の溶接構造。ピラミッド型のパイプの上に乗っています。中から見ると想像通りの大きな”テント”です。

吊り屋根の中心は直径30mのリングケーブルがあり、12本 x 48mmのロープで構成されています。タワーが高く、ケーブルの角度は比較的深い角度にされているので、水平力は軽減されているとはいえ、巨大な屋根を安定させるためには、膜を構成するケーブルに相当な張力を入れる必要があります。その中心となるこの30mのリングには7000kNの張力がかかっているそうです。
この30mのリングから、4周の中間リングを経て、外の360mのワイヤーに向かって72本のケーブルが張られ屋根を支えています。
ケーブルアンカレイジ。タワーへのケーブル(上)、膜屋根を支える放射状のケーブル(右)、円周方向に引っ張るケーブル(左)、の3組が固定されている。

それぞれのケーブルアンカレイジは、鉛直力に抵抗するコンクリートブロックと、円周方向にリング状に埋められた幅6m、深さ0.5mのコンクリートストラットで水平力に抵抗しています。
屋根の上は橋があり観光コースになっている
ウミウシみたいな特徴のある面白い形状で、存在は嫌いではないですが、ケーブルがごちゃごちゃしていて綺麗かというとビミョー。近くのRoyal Victoria Bridgeとともに、イギリス人はこういういかにも異論が出そうな物を作ってしまうの好きねー。そこは大好きです。
実際に、最近のロンドンの変わった橋で、St Saviours Dock Footbridge(ステンレスの歩道橋), Great Wharf Road Bridge(片岸を持ち上げるアーチ橋)の二つは2017年には供用されていません。危険は困るけど、挑戦を認める社会は健康的な感じがします。

*参考、Design and Construction of the Millennium Dome, UK, Ian Liddell, Paul Westbury, Buro Happold, Bath, UK

アナコンダ橋

アナコンダ橋(パイソンブリッジ、ボルネオ・スポーレンブルグ、2001)

オランダ、アムステルダム東側の運河にかかる橋です。設計はエイドリアングース(West8)
構造はラチストラス。欧州の橋梁らしく、格点は全て溶接です。あまり製作精度は問われなさそう。形鋼の組合せなので工事費は抑えられ、かつ、シンボリックな形状。
このような運河の先端という場所にはいいのではないでしょうか。
これが、駅前の近代的なビル群と並んでしまうと部材のチープさが見えてしまうかもしれません。

こちらはアナコンダ橋より運河の奥の方にかかる橋。
同じコンセプトの構造を並べるというのは、意図的に並べると面白いです。同じコンセプトが並んだケースで、同じアムステルダムで空港近くに並ぶ3つのカラトラバの橋の場合は、3つは多いなという感想でした。
ハンブルクで見た、同じ濃色の橋を湾岸地域に並べたケースは非常によかったです。この差が何かというと、やはり、個々の橋がきちんと景観にあっているというのが前提条件ということと思います。
場所は、アムステルダムの東側。アムステルダム中央駅とつなぐ48番のバスの終点がすぐ近くです。下記のようにトラムから歩いても行けます。
周辺の建築群の案内板
橋への移動は、ゴッホ美術館と国立美術館を見た後に、トラムの10番に乗ってEerste Leeghwaterstraatから歩きました。いろいろなデザイン性豊かな建築物を見ることが出来るので、散策するのは楽しいです。

この周辺では、家や事務所の前に垣根とかがなく、道路に面した家が広いガラス窓を通して部屋の中が思い切り開放的に見えます。部屋は綺麗に整理されていて、すべてがデザイン事務所に見えます。
イギリスの家庭のよく手入れされた庭を見るような感じです。
人の家を覗いてはいけないと思いながら、見られてもいいようにインテリアを楽しんでいるのではないかと感じます。私には無理です。

オランダに限らず、欧州で町歩きが新鮮に感じられるのは規格化されたコンビニがないからかもしれません。日本ではコンビニ様のおかげで生活が楽なのでこれは難しい。
そういえばコンビニが流行るところは日本や東南アジアのような享楽的な地域が多いような。偏見でしょうか。

2017年8月6日日曜日

レンゾピアノが橋をつくったら

牛深ハイヤ大橋(7径間連続鋼床版,883m,1997)と、うしぶか海彩館


天草諸島の南端、牛深町を訪ねました。牛深ハイヤ大橋が目当てです。
完成した当初は橋梁雑誌で黒船襲来!のような印象だったと記憶しています。景観照明の美しさに驚かされました。20年経ち、公共構造物として評価されるにはいい年頃になりました。
ハイヤ大橋の路線は、牛深の市街地から山を越えた後浜流通加工団地へのアクセスとして、海岸沿いの市街地を通らないバイパス道として計画された橋梁です。橋もエポックメイキングなデザインですが、陸に場所がないなら海を突っ切っていこうという道路線形もかなり大胆です。
デザインは、「牛深の繊細な自然スケールに調和する者は、静的で単純なイメージである」という基本コンセプトにより究極に研ぎ澄まされた形態を追求しています。

設計は、かのレンゾピアノ、そして、構造にピーターライス。岡部憲明氏、伊藤整一氏。

牛深ハイヤ大橋は、熊本県が1988年から推進している「くまもとアートポリス」構想の参加事業です。この構想は後世に残る文化遺産を造ろうというものです。牛深ハイヤ大橋の著作権は設計共同体が有しています。国内の公共土木事業に著作権が発生したのは牛深ハイヤ大橋が初めてだそうです。

設計コンセプトに従い、橋梁は空に浮かぶ一本の線が強調されるように設計されています。桁の底面を曲線としているのは、視覚的に下部工と分断してみせるためです。
また、風除板で車からの視界が遮られないように、歩道が車道面より40cm下げて取り付けられています。
風除け板は耐風性や、歩行者の風防となり、歩行性をよくするためのものと説明されますが、このFRP製のパネルの考え抜かれた形状は、橋の表情を決めるものであり、譲れないものであったであろうことは想像出来ます。
風除け板により日射しやライトアップを受けて変える表情は、橋を一本の線に見せるために、桁の見た目の重心を上に上げることにも寄与しています。
このFRP風防をデザインして、発注者を納得させられるまで粘れる人・承認してもらえる人は、どちらにおいても、日本の公共構造の設計では実現不可能に近いものでしょう。材質、形状、また、ピーターライス氏の開発したDPG工法の取り付け金具にも似た品のいい金具。脱帽するほかありません。
ピーターライスは自伝で鋳物について、「鋳鉄の装飾や鋳鉄のジョイントを通して、その設計者なり建設職人の性格や技が構造に加えられている。そこに心血を注ぎ、しるしを残した人々によってたしかにその建物はうみだされたのだという証が、鋳鉄や鋳物のジョイントなのである。」と述べ、ポンピドゥーセンターの鋳物へのこだわりを記しています。このディテールへの愛着が通る人、私にもに愛着を湧かせることにつながっているのだと思います。
橋を線に見せるために支承の背が高い。
支承をなるべく目立たなくしようとする考え方はごく普通に発生しても、こんなにあっけらかんと空間に配置しようと発想できる人がいるでしょうか。
これも、コロンブスの卵的なもので、あてはめるには相当な確信を持つ必要があると思います。
橋の銘板。KAPは「くまもとアートポリス」の一環であることを示しています。
なんでもない壁だけど、いかにも建築家的なにおいがする階段。

支間は長く、3次元の曲面を持つとはいえ、構造はごくごく単純な桁橋なんです。それがここまで魅せる可能性を持つ。便利な場所ではないですが、橋に係わる全ての人にとって、この橋のために時間をかけて見に行く価値があると思います。

うしぶか海彩館 (内藤廣、1997)
牛深ハイヤ大橋の起点にある、うしぶか海彩館は、フェリー発着場に設けられた、待合所、観光案内などを持つ複合施設。魚市場のような屋根で覆われてはいるけど開放的な空間です。

設計は内藤廣。

牛深大橋と竣工はほぼ同時期ですが、橋の施工開始が1991年と若干早く、牛深大橋の計画を尊重して設計されています。説明では、「美しい弧を描いて港を横切る牛深ハイヤ大橋が敷地の中央を貫くという特殊な環境があります。土木的スケールを意識して、建物は橋と人間を繋ぐものと位置づけました。」とあります。
橋の裏側は、設計に関わる人には視察ルートの一部ですが、一般の方にとっては、”裏”で、いわゆるガード下の感覚かと思います。ところが、この海彩館では、橋が建物の施設のひとつのように、屋根の間隔が決められ、橋の下に建物間をつなぐ空間・広場が計画され、橋に呼応するように、微妙な高さに並行したアクセス用の通路橋が配置されています。
もちろん橋に見られるだけの力があることと、圧迫しないだけの高さが確保されているためであると思います。
牛深ハイヤ大橋と並行する海彩館のアクセス通路の延長部。デザインの共通性。

アクセス通路。床版と一体となった縦長の形状、橋脚と曲線を共有されており面白い一体感がある。この頼りなさげな縦長の形状にデザインされた歩道も大変気に入りました。
復元された船や生け簀が配置されている。使われる人の発想で変えられるような余裕があるように感じました。
鉄のフレームと木材の梁の接合。美術館・図書館など室内構造のディテイルより目的に合わせて材料や接合ディテイルがより簡便にされているよう。
このふたは何?柱にPCを入れた時のアンカー部?

海彩館一階でも販売されている牛深のあじのかまぼこ、天ぷら(はんぺん)は隠れた名品です。

うしぶか海彩館展示室
うしぶか海彩館の隣の展示室は、一階が牛深の郷土資料館、二階に軍艦長良記念館があります。なぜここに軍艦長良記念館が?と記念館を訪ねたところ、戦時中、牛深から約10キロの沖合で長良が潜水艦に撃沈され、半数以上がなくなり、一部乗組員が漁船で牛深に救助された歴史からだそうです。

記念館の開設の経緯は、佐々木ツルさんという方が人知れず慰霊されていたことに動かされた人たちの寄付により、資料収集、記念館が開設されたとのことです。
慰霊を続けられた佐々木さん、資料や遺品を寄贈された方、こういった方の思いが現実にのしかかる「維持費」に負けずにここに有り続けるというのは、とても貴重な行為を見た気がしました。本来は、積極的に知らなければならないことを怠りがちな私を含む世代への教訓として、末永く、一般の方の目に触れる場所に有り続けることを願います。

記念館に受付はとくになく、入室する際に自分で点灯して入室します。募金箱があるので、入場料を納めたい人は収めます。

牛深ハイヤ大橋と海彩館、アクセスは大変な場所ですが、とても魅力的な場所で、夏にはさぞ海がきれいで海彩館の2階で風に吹かれるのも気持ちがいいと思います。

私は八代でレンタカーをかりて、片道約130kmのドライブ。寄り道を除いて3時間かかります。だからこそ宝物にふれた気もするし、本当に行ってよかったと思いました。「くまもとアートポリス」プロジェクトが、それぞれの町にいい彩りを与えています。くまもと
アートポリスには2017年5月現在106の事業が参加しています。海外の都市で都市再生の一環で、一都市に有名建築家の作品が一気に更新されている例はいくつかありますが、このように、地域(県内)全体にわたって促進するという試みは珍しく、一過性ではなく、時間を掛けて成果が上がっていく先見の明のある優れた施策であると思いました。