2018年5月23日水曜日

メナイ橋とブリタニア橋(その3アクセス)

メナイ橋観光ガイド

メナイ橋とブリタニア橋は駅の中間にありまたそれぞれ離れているので、公共交通機関を利用するとかなり歩きます。大変気持ちのいい場所ですし、遊歩道を歩くと出発点に戻らないコースになるので、バスを活用しながら歩くのもいいとおもいます。ナイトライダーのキットのように、レンタカーが歩いた先に来てくれる時代は、もう少しトヨタとGoogleを待ちます。
こんな技術も今はずるのような気がしますが、時にはGPSと衛星画像を頼りに、見知らぬ けもの道を歩いている現代もありえないなあと自分の常識の変化の早さを感じます。
メナイ橋へのアクセスは、鉄道の駅が少し離れているのでウェールズのArrivaバスが便利です。
メナイ橋のアンカレイジ近くにバス停があります。62番のバスはBangorのバスステーションからメナイ橋を通って、ブリタニア橋の方へ行きます。
バスチケットは、Arrivaバスのサイトで期間や地域を限定したフリーチケットの事前購入が安くて便利です。私が買ったのは、ウェールズエリアの1日券で、チェスターからホリーヘッドまで広い範囲を含んで5.5ポンドでした。普通にバスの運転手に支払うことも出来ます。私は、Conwy - Bangorバスターミナル - メナイ橋、で利用しました。
購入したチケットは携帯のArriva M-ticketアプリに登録し、使う日にアプリ上でActiveにして、画面を運転手に見せて使います。

Arrivaのサイトは動いているバスの場所や到着時間がLiveで分かる優れものです。今や気の利いたバスネットワークではだいたい同様のアプリがあるようですが、異邦人にこそ強い味方です。
併走する鉄道は早いけど便数が少ないので、上手く使うと効率よく回れそうです。
ArrivaバスグループのArrivaトレインは、ホリーヘッドへ行く鉄道路線も管理しています。
Conwy駅のバス停
メナイ橋といえば、側面から見た、美しい海峡と森を背景にしたこのアングル。

この写真が撮れる場所は、ちょっと橋から離れていて、見つけるのに時間がかかりました。(上のGoogle Map参照。)国道A5を歩きながら、どこか水辺に出られないかな、とうろうろしていたら、近所のおじさんが、遊歩道の入り口まで案内してくれました。
歩道を歩くと”アイロン”があるというので、そうだ鉄の橋を見に来たんだといったら、遊歩道の先に”ライオン”があると教えてくれていたことに途中で気がつきました。英語勉強しないとだめですね。ブリタニア橋のライオンは愛されていることもわかりました。
遊歩道脇の子ライオン
絶景ポイントにアクセスする道は、アングルシー島を一周するIsle of Anglesey Coastal Pathの一部で、遊歩道が整備されています。メナイ橋のバンガー側から橋を渡ってブリタニア橋のライオンまで、約3kmです。
メナイもConwyも非常に美しい場所にあるので、橋好きではない人でも足を運ぶ価値があると思います。たぶん。
ブリタニア橋の最寄り駅は、世界一長い駅名のxxxxxx駅。Conwy駅もそうですが、ここも無人駅で、乗降客のリクエストがなければ通過されます。
跨線橋はイギリスでおなじみのタイプです。この形式の橋は、ヨークの国立鉄道博物館で1891年製の鋳鉄橋を見ることが出来ます。説明ではいくつか現役で使われていると書かれていました。

Conwy橋の最寄り駅のConwy駅は小さい駅なので、前の車両に移動しないと出られません。また、手前にGlan Conwyという駅もあり紛らわしいのでご注意を。
マンチェスターから一日の旅でした。お疲れさまでした。

2018年5月20日日曜日

メナイ橋とブリタニア橋(その1)

メナイ海峡を渡る江戸時代に架けられた長大鉄橋 メナイ橋とブリタニア橋

ウェールズのメナイ橋と1.6km下流にあるブリタニア橋を見学しました。
メナイ橋

ブリタニア橋

メナイ橋は190年前、ブリタニア橋は160年前の建設ですが、その設計は革新的な思想と徹底的な試行の成果で、とがっています。この規模も形状も前例が全くない状態から、材料の特性を最大限に生かした構造を生み出す力は、コンピューターを駆使して設計された構造以上に、技術者の新しい形状に挑戦する情熱が感じられます。

ブリタニア橋は、1970年の火災で元のチューブ桁から、現在のアーチに構造変更されています。
メナイ橋は1840年、1940年の2回のリハビリテーションにより、建設時の材料は新しい鋼に変えられています。

両方とも、開通時の材料が残っているのは、アンカレイジと主塔部分のみです。

幸いなことに、メナイ橋(トーマス・テルフォード)とブリタニア橋(スチーブンソンJr.)まったく同じ設計者(達)と構造形式で、少し支間の短い橋がConwyに並んで架けられています。
Conwyの橋には、開業当時の材料が残っており、原型に近く開通当時の状態が想像できるので、こちらも並べて整理します。

Conwyの3本の橋梁。右からスチーブンソンのチューブ橋、テルフォードの吊橋、1958年の道路橋。北側に自動車道の沈埋トンネルがもう一本ある。
鉄道はブリタニア橋と同じホリーヘッドへ向かう路線上にあり、メナイ橋に鉄道で行く場合にはこの橋を通ります。

メナイ橋 (Menai suspension bridge, Lc=176m,1826)
コンウィ吊橋(Conwy suspension bridge, Lc=99.5m, 1826)

メナイ橋はトーマス・テルフォード(Thomas Telford)が設計。錬鉄を橋の材料として吊材のアイバーに使った最初の橋です。


主桁はもともと剛性が低い構造で、木製のデッキだったそうです。
デッキは1840年にW. A. Provisにより補強され、さらに、1893年にSir Benjamin Bakerによってトラスで補強された鉄製デッキに変えられました。1880年当時の写真では現在のような剛性の高いトラスは見えず、ラチストラスのような高欄が見えます。
http://www.fotolibra.com/gallery/686856/menai-suspension-bridge-c1880/

メナイ橋は、まだ、耐風理論など確立していない時期の建設なので、当初の木製デッキは、建設中からたわみ振動が生じ、10年後の1836年1月の嵐で5mにも達する振動が引き起こされました。1839年1月のハリケーンで50m以上の橋桁がひらひらと舞い、1/3以上のハンガーケーブルが引きちぎられたそうです。この後、トラスの高欄を持った橋桁に変更されました。(タコマ橋の軌跡-吊橋と風との闘い, Richard Scott, 勝地弘ほか翻訳)。

剛性不足で落橋したタコマナロウズ橋の100年前の出来事です。

側径間は石積のアーチで支えられており、ケーブルで桁を吊る必要はないが中央径間と同様にハンガーケーブルが配置されている。主ケーブルを安定させるためか?
テルフォードが描いた最初の絵では、側径間のアーチ型橋脚の桁橋部分に斜張橋のケーブルのようにアンカーさせる絵が描かれている。
ストランドロープのハンガーケーブル。1940年の補修で交換されたと思われる。中央部の短いハンガーは鋼製ロッド。
錬鉄チェーンによるケーブルの架設は、組み立てたケーブルを台船に乗せ吊り上げた。側径間は桁が逆にケーブルを支えている。
現在は片側2本のシンプルな鋼製アイバーとなっている。1940までは、中央分離帯部分に2本のケーブルを配置した4面x4本の錬鉄製チェーンだった。(下の図面参照)
もとのチェーンには長穴が開けられている場所があり、長さ調整が考えられていたようだが現在のリンクにはない。
初期のケーブル配置。現在と同じ位置にケーブルの水平移動を拘束するトラスがある。
マンチェスター大学のwebサイトから借用。
ぺらぺらの桁が見える。
バンガー側アンカレイジ。以前は、中央に見える3本の柱の間に、それぞれ2本のチェーンが定着されていた。今はふさがれている。
車両が横からケーブルの下をくぐって進入するため、ケーブル定着位置が高い。
西側定着部。ピンだけでなく、支圧板で定着されている。側径間の中間部に両ケーブル間を繋ぐバーが見える。標識用かと思ったが、水平に力が入れられているようで、ケーブルの水平移動を拘束する意図があるかもしれない。
メナイ橋の中央径間の補剛トラスは、主構造はリベット、水平拘束はボルト止め。

コンウィ吊橋(Conwy suspension bridge, Lc=99.5m, 1826)

メナイ吊橋と同年に、同じくテルフォードの設計で建設された吊橋です。こちらは建設当時のチェーンが残されています。
このConwyの吊橋もメナイ橋と同様にリハビリが行われ、メナイ橋の後に、木製デッキから鉄製の桁に交換されました。メインケーブルは1903年に鋼製のチェーンが1段上段に追加されていますが、下4段は建設当時の錬鉄製で、往時の姿をとどめており、メナイ橋の完成時の姿を想像することができます。
おとぎの国のような主塔デザイン。
最上段にストランドロープが追加されている。
アンカレイジはお城を一部解体して定着されている。

Conwyの吊橋は城壁に隣接する場所にあるため、デザインはエンジニアがデザインしたとは思えない遊園地の飾りのような主塔形状です。当時最高峰の技術の橋梁に、この”やってやった”的なデザイン。隣の1958年に架けられた現代の工夫のない橋を見ると、これが正解だったとしか思えません。

アンカレイジはお城の壁に定着されており、橋もビンテージ感があるので、橋はお城の一部、お城の建設時に吊橋を造ったと考える人もいるのではないでしょうか。実際はフェリーの代わりにコンウィ川をわたる自動車用の橋として建設されたものです。当初つけられていた歩道はチェーンより外側にあったものが撤去されたようです。
お城と町を取り囲む城壁は13世紀にはすでに現在の形が出来ており、吊橋が架かる19世紀頃には廃墟だったようです。
コンウィ城。1986年世界遺産登録。ケーブル定着部の上から。

ハンブルグのくの字橋 Museum bridge

ハンブルクのMuseums footbridge (Hamburg, Germany 2007)

博物館にかかる平面にくの字の線形をもつ歩道橋。アーキテクトは、パリのシモーヌドボーボワール橋をデザインした、オーストリア出身のディトマール・ファイシティンガー(Dietmar Feichtinger)。
実に博物館の入り口という場所にふさわしい佳作です。建設費は1.2億円(0.9M Euro)。設計費は不明。
橋は、再開発により、統一された美観を獲得した煉瓦街ハーフェンシティーをエルプフィルハーモニー(ヘルツォーク・ド・ムーロン)から、西に1km歩いたところにある、国際海洋博物館の前の運河に架かります。
この国際海洋博物館も、ハーフェンシティーのリノベーションの一環で、1888年に建設された赤レンガ倉庫を2007年に再構築された建物です。

ファイシティンガーのデザインする橋は、シモーヌドボーボワール橋(レンズトラス)、Valmy歩道橋(リングガーダー)、Three Countries Bridge(最長のアーチ歩道橋)と構造が挑戦的なイメージでしたが、この歩道橋は、これ以上ない単純な単純桁です。
楽しんでますね。

人間の視線が近くなる橋では、橋のスケールと近くなってしまう詳細構造、接続金具とか、溶接仕上げにより目が行ってしまうので、細かな構造を排して、形状だけに視線を誘導するというのも、デザイナーの見せたい物を実現するひとつのアプローチだと思います。
この橋のポイントは、重力下で生きる人間の感覚に反して、水平面内でくの字に曲げられている危うさです。この危うさが一番感じられる視点は、おそらく上から見たところで、なかなか写真を撮ってもそれが感じられないのは少し残念。また、斜め下からも桁高の変化がみれて面白そうですが、桁から下も運河の切り立った壁で、美の重要な要件、なんだこれは(by岡本太郎)、と言わせる視点がないのがもったいないです。
安全柵や排水は綺麗な処理がされています。さすが。

Hafencity地区の町並み

この橋のあるハンブルグのハーフェンシティーは、市街中心から最も近い埠頭地区で、1991年から再開発が進められています。赤煉瓦の倉庫と工場地区だったものを、赤煉瓦の建物を生かしつつ、オフィスビルや住宅街に作り替えられています。

155ヘクタールの地域は、1999年のコンペで優勝したオランダのキースクリスチャンとドイツのAstoc archtects & plannerによりマスタープランが計画されています。
赤レンガ倉庫地区はだいぶ建設が終わったようですが、地域の東側はまだまだこれからの建設です。
再開発前http://www.hafencity.com/より借用
再開発後 Hafencity Hamburg Waterfront Archtectural Guideより。
エルプフィルハーモニーの土台の建物がそのまま生かされていることがわかる。

地域はエルプハーモニーから、エルベ川のレンズトラス橋があるところまで東西に3kmの地域です。ドックが櫛形に入りこんでいるので、楽しい橋もたくさんあります。
周囲の建物。ハンブルク港湾地区再開発の象徴エルプフィルハーモニー。
エルプフィルハーモニーには、2017のG20で各国首脳がコンサートに招待されました。解説では、オペラハウスのような象徴的な建物をということでコンペにかけられたそうです。ヘルツォークドムーロンにしては、外見は飛ばしすぎていない、場所に合った建築だと思います。
周囲の建築が2000年以降にむちゃくちゃな形態を競うようにデザインされているからかもしれません。ひとくくりにしてしまうのは失礼ですが、場所を読み解く力があるアーキテクトもCGエンジニアも玉石混合で一気に街を作り上げている印象があります。

エルプフィルハーモニーの、帆の部分は新しい構造で、下の赤煉瓦は、1966年に再建された倉庫を補強したものです。
曲面ガラスの表現はここまでこだわった理由を実感するのに時間がかかりそうです。
古い倉庫をリノベーションした建物とコンセプトを一致させた新建築が同居する。エルプフィルハーモニーのみが110mで他の建物は、教会の尖塔の高さを超えないように制限されている。
市街地の橋の高さは一様に高い。エルベ川の洪水の備え、8.3mを最高水位として市街地が計画されている。
再開発地区の統一された町並み。建物の形はそれぞれ個性的だけど、コンセプトに従い完全な調和が図られている。ただ、正直な印象は、一つ一つの建物は居心地がよさそうですが、連続して完璧な調和が図られ、また、個性の強い建築が集合すると、それはそれで目眩のする光景です。住んでる人がいたら精神衛生上なにか起きそうというか、気分が悪くならないかな。

ハンブルグ滞在は、EasyJetが2時間遅れたおかげで、もともと無茶だったのが、さらに2時間で弾丸ランニング見学でした。しかも次々に現れて足を止める、驚くべきデザインの数々。
帰りは、重厚な眼鏡橋の中央車線のBRTレーンをタクシーが突っ走ってくれたおかげで、ぎりぎり当日中にベルリン到着のICEに乗れました。走った走った。
ベルリンプラッツ広場にて