2017年12月9日土曜日

曲線の線形を持つトレインシェッドその2(ホリーヘッド駅)

ホリーヘッド駅 (Holyhead railway station, 1848開業, 現在のトレインシェッドは1866)

ニューカッスル駅とヨーク駅の二大曲線ターミナルにつづいて、この駅も曲線を持ち、かつ、旅する者に特別な印象を残すトレインシェッドを持つ駅です。
ウェールズ一帯はArriva Trains Walesが管理しています。
ホームが長い。列車が遠い。
ホリーヘッドは、ウェールズの北の端、アイルランドの首都ダブリンへの定期航路がある町です。プラットフォームを到着した方向に歩いていくと、そのまま、ダブリンへのフェリーポートになります。青函連絡船があったころの青森駅を彷彿とさせます。
いいですね。いかにも旅の駅です。
ホームを直進するとフェリーポートです。フェリーがない時間は閑散としています。

世界最初に営業運転を開始したストックトン・アンド・ダーリントン鉄道が1825年、有名なスティーブンソンのロケット号が走ったリバプール・アンド・マンチェスター鉄道が1830年に開通してから、イギリスの鉄道網は1850年には爆発的にイギリス全土に拡がります。そのネットワークは1850までのわずか20年の間に10,000kmに到達します。

この鉄道網の発展が、錬鉄の製造時期と重なり、鉄製の魅力的な橋、ロイヤルアルバート橋、ハイレベル橋、ブリタニア橋やトレインシェッドが作られ、現代に遺されています。
産業革命、交通”革命”とはよく言ったものです。
ロケット号のレプリカ。ヨーク国立鉄道博物館にて。
動輪の径は大きくして、シリンダーを配置する場所が限られて斜めに、煙突は運転席に煙がかからないように前に、高く、、、と合理的な思考でこの形になったのかもしれませんが、同じスティーブンソンのハイレベルブリッジといい、どうしてこうも魅力的な形が世に残るのだろう。専門性が高度で細分化されすぎる以前の昔の人の、算術に通じ、剣術に通じ、書もたしなむといった個人の素養の違いなのか。

ホリーヘッド駅はリヴァプールと共に貨物積み出し港として、また、アイルランドへの玄関口として、鉄道もこの時期1848年に開業しています。
往時は5つのプラットフォームがあったらしいので、トレインシェッドもいくつかあったのかもしれません。1列だけあるトレインシェッドの形はクイーンポストトラスの亜種です。日照は大事にされていて明るいです。

日本の歴史も入れて並べてみるとこんな感じ。
こう見ると、なにげにホリーヘッド駅も歴史的建造物です。

1825年 ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道開業(ロコモーション号)
1826年 メナイ橋(錬鉄チェーン)
1830年 リバプール・アンド・マンチェスター鉄道(ロケット号)
1849年 ハイレベルブリッジ(錬鉄、鋳鉄)
1850年 ニューカッスル駅
             イギリスの鉄道網が10,000kmに達する。
1853年 黒船がやってくる
1859年 ロイヤルアルバート橋(錬鉄、鋳鉄)
1866年 ホリーヘッド駅
1868年 明治元年。くろがね橋(日本最初の鉄橋:錬鉄)
1872年 新橋ー横浜に鉄道開業(橋は木橋)
1874年 70ftトラス鉄道橋39連を輸入・架設(英国製錬鉄)
1883年 ブルックリン橋(鋼鉄ケーブル)
1886年 200ft揖斐川橋(英国製錬鉄)
1888年 ゴッホがひまわりを描く
1889年 東海道線全線開通

私は、この駅を出たところに2006年にできたステンレス製の歩道橋Celtic Gateway Bridgeを見て、すぐに、乗ってきた列車の折り返し運転で帰りました。
変な無人駅から乗って、折り返したので、「おやまあ、あなたはどこへ行くの?」と、車掌さんの頭に???が浮かぶのはごもっともです。
乗車した駅。世界一名前が長い駅
スランヴァイルプールグウインゲルゴウゲールウクウィールンドロブウリスランダスイハオゴゴゴッ駅。お客がいないと通過されてしまう駅。ブリタニア橋の最寄り駅です。
Celtic Gateway Bridge。駅を出て左手。

曲線の線形を持つトレインシェッドその1(ニューカッスル駅とヨーク駅)

ニューカッスル駅(Newcastle Central Station 1850)

プラットホームが曲がっていて、かつ、トレインシェッドが超かっこいい駅を2つ。
一つは世界最初のアーチリブ式トレインシェッドのニューカッスル駅。
建築家John Dobsonジョン・ドブソンが、鉄道技師Thomas Prosserトーマス・プロッサーやスティーブンソンと協力して設計。トレインシェッドが完成したのは、近くでタイン川を渡るスティーブンソン設計のハイレベルブリッジが開通した翌年の1850年。
平面に半径240mの曲線線形を持つトレインシェッドはタイロッドを持つアーチの三連で16.8mx3=50.4mのスパン。
屋根は鉄骨アーチとガラスの組合せです。

旅客鉄道として世界最初の駅はスティーブンソンによるリパブール・クラウンストリート駅で1830年です。1837年にはブルネルによる第一期パディントン駅(木造のキングポストトラス)が完成。この最初の駅から15年後に、このような魅力的な大空間が鉄構造で生み出されています。

パディントン駅がブルネルにより現在の鉄製アーチタイプになったのは1853年なので、大規模なアーチリブ形式としては、このニューカッスル駅が世界最初のアーチ式トレインシェッドです。
それまでに、鉄を使ったトレインシェッドはありましたが、形状としては三角形の切り妻型になるポロンソートラスや、ポストトラスでした。
 2番線のとなりに9番線。ややこしい。 
ニューカッスル駅のアーチはタイロッドが用いられています。
装飾は比較的おとなしい

ヨーク駅 (York railway station, 1839開業、現在のトレインシェッド1877年)

ニューカッスルから列車でまっすぐ行けば一時間、ヨークに到着です。
イギリスは、特急料金がなく座席指定もなくても乗車できるので、ブリティッシュレールパスがあればチケット購入の時間を考える必要がなく本当に楽です。

ニューカッスル駅の設計に携わったトーマス・プロッサーは現行のヨーク駅(1877年。スパン24.7+16.8+16.8+13.1=71.4m)の設計をしています。
ヨーク駅はニューカッスル駅と同様に平面曲線を持つトレインシェッドで、大変旅情をかき立てられる駅舎です。
天井が高く、塗装のリハビリは丁寧にされているようで、古い重苦しさはなく、明るい気持ちで町の玄関に到着します。


見た目はよく似ていますが、ヨーク駅にはタイロッドがありません。わずかな差ですが、タイロッドがないと煩雑な印象がなく上品な印象を受けます。
アーチの基部にかかる水平力が小くなるように、アーチ橋と比べてアーチライズが高いようです。ヨーク駅は幅、高さ比が8:5。柱部分を除いてもアーチのライズは1/3はありそうです。一般的なアーチ橋1/5-1/6に比べるとドームに近い印象。

また、ニューカッスル駅から27年経って、余裕が出てきたのか、装飾や部材の形は凝っています。

ウェブの穴抜きがしゃれている
アーチリブの接合部を剛にしたかったのか?構成する曲線も主張があって面白い

なお、ヨーク駅もニューカッスル駅も、1.5世紀の間に拡張を重ねており、プラットフォームはどこにあるのか探すのが大変です。1列のホームに2つ番号があるのは当たり前。スモールaがついたり、櫛形ホームだったり。
ヨーク駅はちょうど訪問した日が有名な記念日で、酔っぱらいが充満していたのですが、トイレのある4番線の場所が番号順にならんでおらず、駅構内の跨線橋を右往左往する人(私を含む)が見られました。 2番線の向こうが8番線で。。
 ヨーク駅構内のパブにて。タップ数の多いこと。

参考 19世紀から20世紀前半のヨーロッパの駅建築空間~駅本屋とトレインシェッドの関係に着目して~ 金井ら 土木計画学研究・論文集 No.17 2000.9

2017年12月8日金曜日

スティーブンソンの鋼橋ハイレベルブリッジ

ハイレベルブリッジ (High Level Bridge, 1849)

ニューカッスルのタイン川には、鉄の橋の黎明期と現代を代表する橋が揃っています。
こちらは黎明期の橋。Newcastle Central駅からすぐ、徒歩5分。
町の高さに架けられたハイレベルブリッジと手前のローレベルに架けられた旋回橋

ハイレベルブリッジは、ニューカッスルとゲーツヘッドを結ぶ支間125ft=38.1mの鋼橋です。ニューカッスルの市街地はtyne川で削られた平地部の上の丘にあり、町と町を結ぶには、文字通りハイレベルな高さに橋を架けることになります。下流に新しく架けられた現代の看板橋梁のひとつゲーツヘッドミレニアムブリッジは川岸の高さに掛けられたローレベルブリッジです。

設計はRobert Stephenson(stíːvnsən)。橋の設計で有名なのはスティーブンソン親子の息子の方です。スティーブンソンはここニューカッスルの出身です。
ニューカッスル側入り口
リハビリ後はニューカッスルからゲーツヘッドへの一方通行となり、バスとタクシーのみ通行が許され、3トンの重量制限がされています。鉄道は斜め横から上路に入ってくる。
ゲーツヘッド側出口

1947年鋳鉄製のDee橋(スティーブンソンの設計)の落橋から1959年のロイヤルアルバート橋の開業の間に、イギリスの鉄道網の発展とともに錬鉄を使った技術革新による長大橋が次々に架けられています。ハイレベル橋は、チューブのConwy橋1847年とブリタニア橋(旧)1850年の後に設計され、完成は2つの橋の間の1849年です。
チューブ橋も桁高を高く取った自由な発想の橋で好きですが、設計思想としては、軸力部材を使った方が無駄がなく、スマートな設計になったという評価がされているかもしれません。
私は、ただの工業製品と感じられない自由さがあって両方とも好きです。

図面を手で引くと、自然に、人間の息吹が感じられるんですかねぇ。リブの間隔とか、添接の形をとっても、あながち手仕事とデジタル仕事の差があるという情緒的な解釈は間違っていない気がします。
最新の橋は、溶接構造、さらには、グラインダーがけが、最近の鋼橋の美観を確保する手段で、たしかにそれも多くの場合正解だと思いますが、隅田川の橋の添接を見てもじっと眺めていたくなるようなものがあります。

材料は、アーチリブは鋳鉄製、吊材は錬鉄製となっています。引張に対してもろい鋳鉄をアーチリブのみに使っているのは合理的です。また、当時は錬鉄のリベット接合が信用されていなかったためアーチリブには使われなかったという理由も記述されています。
160年の間に、鉄道が3レーンから2レーンになったり、路面電車が走り、鉛直材が追加になったり上路が鋼床版に変えられたりいろいろ変遷があったようです。
 下流の鉄道路線を代替する橋梁

鋼材重量は5500ton。1100kg/m2と今のそのへんの高架橋と比べると3倍以上の鉄の塊がむき出しなので、見た目にも重量感があり鉄好きには大迫力です。
構造は、下弦材が弱そうですが、構造系はローゼアーチです。世界初の道鉄併用橋で、アーチの上下路に走行部があるという、ロイヤルアルバート橋と共に、オンリーワンな構造形態がこの時代に作り出されているというのは驚異的です。
現代のように構造にカテゴリー分けがなく、力の流れに従い自然に発想した結果なのかもしれません。
鉄、鉄、鉄
アーチは2面で一組。水平に結合されたアーチの中が歩道です。

2001年から2008年に3年間の下路の道路部分を閉鎖して、42milポンド=63億円を掛けたリハビリが行われています。新設橋並の費用を掛けた、産業遺産のリハビリは、強烈にひび割れた部材の補修、見えない床組部材の新設、床版の取り替え、装飾品のリハビリも含む、それこそ架け替え並の大工事が行われたようです。
面白いのは、床版は、きちんと木材床版で修復され、その上にアスファルト舗装がされています。
下から覗くと、木材床版がわかります。検査車が新設されたそうです。

重厚感の中の曲線と橋脚のあざとくない装飾、脚のスケール感が上部工とバランスが良いです。色もいい組合せ。年代の落ち着きは追いつきようがないですが、地形の一部のような安定感の好ましさを見ると、橋単体の軽快さと逆のアプローチもあるのかなと考えさせられます。

イギリスで大事にされている産業革命終盤の遺産が生活に息づいている様子を見ると、イギリスがヨーロッパに対して特別な地位を持っていると考えることの背景が少しだけ理解できる気がします。ブレグジットもいたしかなたし。。
やはりその時代、イギリスは圧倒的に世界のパイオニアだったんだなあということと、その精神を尊重にする現在のイギリス社会。
最近、BBCをインターネットで聞くのですが、BBCで聞く英国議会の激しい議論の応酬も議会内に積み重ねた伝統に対する自負が感じられ、伝統の力が生活から乖離していないのかなと想像します。