2017年4月15日土曜日

ビルバオのトンボ橋

ビルバオのトンボ橋 (Padre arrupe bridge 2003, Lc=サイド80m、中央142m)

ビルバオのグッケンハイム美術館近くの歩道橋。アーキテクトとして橋の計画はJosé Antonio Fernández Ordóñez、彼の死後、息子のLorenzoが引き継ぎました。
テクノロジー面では、主桁に初めて二相ステンレス(SAF2304)が主部材として使用された橋梁と紹介されています。2000年にはイギリスのヨークミレニアムブリッジがアーチリブと吊材にステンレスを使っており、このあたりが二相ステンレスを橋梁に使い始めた頃です。
ステンレスを高欄など付属物だけではなく、主部材に使う橋がイギリス、イタリアやシンガポールのDNA橋などで2000年以降出てきています。
現場溶接部?

二相ステンレスは耐蝕性が極めて高く、この橋では塩分環境で50年の寿命だそうです。香港のストーンカッター橋の塔頂の二相ステンレスのスキンプレートが120年間メンテナンスフリーを求められているので、もっと実際の寿命は長いかもしれません。強度はフェライト系ステンレスSUS304の引張強度の2倍600MPa以上です。
100年メンテナンスフリー。社会資本としてなんて魅惑的な響きでしょう。
中空のUの字型の断面を作り、内側表層は木材デッキを貼っています、床版は、メッキ塗装鋼鈑にコンクリートを流し込んだ合成床版で支持されています。

この形はヤモリかトカゲか?と思うとビルバオの観光ページでは巨大なトンボのようなとありました。なめらかなカーブを入れればデザインしたでしょ、というような紋切り型の回答ではないところがいいアクセントで、有機的な形に見えて面白いです。
ビルバオの橋は、美術館のすぐ隣のはでな赤のカバーをつけられたPuente de la Salveを除けば3者3様(トラスのPuente Euskaldunaと、この橋と、カラトラバ)で当たりです。

橋梁形式は単純そうに見えて、高欄を構造部材として桁高を稼ぎ、桁上に塔のような構造部材を出さず、支間80mでこの桁高はがんばっています。薄い桁高のみで構成したシルエットは風景の透過性がよく、目立つわりに周囲の邪魔になりません。

構造系は橋脚の傾斜の浅い方杖ラーメン。
かなり傾斜が浅く横にも開いているので、どのくらい軸力構造でどのくらい曲げ構造なのか分かりませんが、側径間では一度降りた歩道がまた上に上がっており、バランスドアーチのように、斜めの方杖で生じた基礎にかかる水平力をもう一度上がる歩道の水平反力でキャンセルさせる構造です。
高欄近くのマットは滑り止め?滞水しないかな。
遠くから見るとロボット的なステンレスをまとった形がグッケンハイム美術館が調和し、一方で橋を渡ると、木製のデッキがDeusto Universityや山側の市街地と調和する。
一瞬面食らいますが、非常に景観の要求の難しい場所に、ぎりぎりの回答かもしれません。

場所は、ビルバオ、グッケンハイム美術館の200m下流です。

2017年4月12日水曜日

メトロポールパラソル、世界一の木造建築?

メトロポールパラソル、世界一の木造建築? (2011)

セビリアにあるメトロポールパラソル。ドイツ人、ユルゲンマイヤーHの設計。構造設計はArup。
大きさは150m x 70m、高さは28mで世界一の木造建築とのふれ込みです。
子供の頃は東大寺が世界最大の木造建築だと習った気がしますが、調べてみると、他にも結構大きいものがあるようです。例えば、伊東豊雄が名を連ねる大館樹海ドームは延べ床面積も高さ52mもこのメトロポールパラソルより大きいです。
”最大”の定義はよくわかりません。
商業施設が入っている部分の2つのコアになる柱はコンクリート製。木材の屋根は1.5m角の格子を構成する3400個の部材と3000個のコネクションを、ドイツで仮組した後、分解してセビリアに輸送しています。
工事中にローマ時代の遺跡が発掘され考古学博物館が入っています。
屋上には展望台があり、登れば屋根の全容が見れたかもしれませんが、訪問時間が悪く下から見ました。
近づくとかなり背の高い建物です。建物密集地を縫うように巨大構造物が現れる感じで、旅行ガイドなどの写真ではのびのびして見えますが、実物は建物の隙間にむりにはめこんだようなごちゃごちゃした印象を受けました。

なんとなく背の高さ、規模がしっくりきません。もっと広い川沿いとか、全体の形状が遠くからでも見える場所に建てた方が映えたのではないかと思います。
表面は木材の格子の上に屋根がなく木材がむき出しのため、防水のためのに2-3mmのクリーム色のポリウレタン樹脂塗装がされており、木目は見えません。降水量は東京の1/3。塗装寿命10年くらいでしょうか。
強い工業製品感

接合構造や塗装が目立って、木材の生かされ方が自然な感じが少なく、アルカサル等重厚な旧市街の街並みの中で、この点も少しずれている感じがした要因です。
このくらい木材が呼吸できないように保護してしまうなら、牛深ハイヤ橋の風除け板のようなCFRCでもよかったのでは?と思いました。
木造のコンセプトを取ったら意味がないのか。。

セビリア内の公共交通による移動は一日乗車券があるとの情報がありますが、ホテルのレセプションでもどこで売っているか分からないと言われました。結局、トラムは停留所の券売機で、バスは乗るときに運転手に運転席横の小窓で支払いました。
セビリアには2016年、時清武が在籍していて、正月番組で、走る路線バスにボールを蹴り込んでましたね。
メトロポールパラソルのある中心部は、細い道が多いので、トラムの終点か、外周を走るバス亭から歩くのがいいかもしれません。

2017年4月9日日曜日

ローマMAXXI、ザハのデザインと構造設計

ローマMAXXI、国立21世紀美術館(2009)

設計はザハ・ハディッド。
ザハが1999年にコンペで優勝し、ザハの活躍を確定した建物です。
建物は、西側の軍の敷地を取り巻くように、L字型の細長い建物となっており、そのL字型を何本かの蛇行した1階分の大きさの箱を組合わせた造形になっています。
1本は、正面玄関の上に3階で突き出し、1本は入り口の上をはみ出して空中を蛇行しています。
ここを訪れたのは東京オリンピックの国立競技場の費用が予算を大幅に上回ることが問題視され、設計者のザハが諸悪の根源のようにメディアに扱われていた頃です。
技術的な問題だけではなく、ナショナリズムの高揚も乗じて、ザハ氏の設計をアンビルドの女王というくくりでぼこぼこに叩く論調もありました。
本当のところはどうなのだろうか、自分の目で見て感じたかったのが訪れた興味のひとつでした。
見学した感想は、美術館内に飾られた初期のことのデッサンや模型はイメージが突っ走っているところもありますが、出来上がった建築物は、近未来的な表層を纏いつつ、予想したよりも実施段階で”常識的な”進化を遂げた印象を持ちました。

中を歩くと、一つ一つのスロープなどの造形は穏やかで、独特な曲線が多用されながらも居心地の悪さがない良くできた建築物と感じました。うわっすげえなという、とがった感じの印象は、ゲーリーのグッケンハイムは抜けてますが、伊東豊雄のメディアコスモスや、菊竹清訓の九州国立博物館の方に足を踏み入れた時の方が強かったかもしれません。
もっとも、サイズが写真で感じるより小さいのと、MAXXIはRCだから落ち着きがあるからかもしれません。また、RCで難しい形態を再現するのは鉄骨造より実現は大変だと思います。
建物の中で気に入った空間。全体に細長いので、通路を歩きながら展示物を見る感じ。

RC製の空中歩廊はゲルバーヒンジのように切り欠きが組み合わされ、張り出し部に曲げが入らないように工夫されています。伸縮装置の構造は見えません。
無理なように見える形状も、形状をうまく解読した構造設計で成り立っているがゆえに、それぞれのパーツがきれいです。ただのザハ氏の形状に沿った張りぼてだったら、細かなところで歪みを感じたのではないでしょうか。
エントランスホールの宙に浮かんでいるように見える階段も、歩路のコンクリートの壁やチューブの側面にうまく支持されているようです。そこを単調に見せないような常にRの違う曲線や直線の組合せ。形態とエンジニアリングデザインが協働されているのでしょう。
構造デザインはAnthony Hunt Associates(ロンドン)とローマの会社が記されています。アンソニーハントはイギリスの斬新な構造に顔を出す構造家で、あの掃除機のダイソンも教わったことがあったらしいです。
一般図。模型のデザイン案と設計図の間でだいぶ手直しが行われています。

さて、MAXXI、建物の造形が特徴的な一方で、中身の展示物は完全に負けていて、私の行ったときに良かったのは、ザハの模型と、1階でコンクリートの大きな曲線を長めながらいただく高いオレンジジュースでした。

空間が細長く圧力があるので、この建物に合わせる展示設計は相当難しいのではないかと思います。
展示物。意味不明。
日本で批判の大きかったザハ氏の建築を自分の目で見た後で、国立競技場の顛末に関する感想は、実施過程で進化を遂げるエンジニアリングデザインがきちんとされたかどうかも分からないうちに消えてしまったザハ案国立競技場は、まずは周りの出来が悪かったのかな、と。専門家+報道含む社会全体。

少なくとも、ごつい曲げ部材で構成した北京オリンピックの鳥の巣に比べればアーチの方が構造として理にかなっているだろうと思います。実際、鋼材数量は鳥の巣4.2万トン、ザハ案2万トン。

当人が亡くなってしまったのでどうなったか分かりませんが、紆余曲折の後に選ばれた案が建築としての点数の低い物(そして、私のちっとも好みでない建築)だっただけに返す返す残念です。

アクセスはメトロA線フラミニオ駅から2番のトラムで4つめ駅。

ところで、イタリアは生ハムとチーズ屋、1EUROの立ち飲みエスプレッソ屋がほんと飽きずにたくさんあります。MAXXIとその近くのアーチ橋のあたりを歩くだけで生ハム屋をぶら下げる店が数件ありました。知り合いによると、サンドイッチには生ハム以外入れないのがイタリアでは基本だそうで、日本的なレタスや卵の入ったいろどりのいいサンドイッチは邪道だそうです。
ここにも独自の世界があることを知りました。
行ってみるもんです。

2017年4月8日土曜日

レッジオエミリアの巨大単弦アーチ

レッジオエミリアの巨大単弦アーチ (橋名不明、Ponte di Calatrava, Ponte Centraleなど,Lc=221m, 2006)
両隣のループタワーの斜張橋 (橋名不明、Ponte Lateraleなど, Lc=90m, 2007)

レッジオエミリアAV駅からミラノ側に1.3kmの位置に、高速鉄道と、並行して走る高速道路を一気に跨ぐアーチ橋です。
設計はサンチャゴ・カラトラバ。
両端の丸くくりぬいてあるごつい版構造は鋼製です。

中央支間長は221mと鋼製のローゼアーチとしては、盧浦大橋という化け物を除けば、適用最大クラスの支間です。これを単弦で実現するのはかなり大変で、横方向の座屈耐力を上げる工夫が必要です。この橋ではアーチリブ断面を上部で横に扁平な形として、横方向の剛性を上げるとともに、アーチ基部をごつい形にしているのも、見かけ上のアーチ支間を短くする目的があるかもしれません。

アーチの架設方法はアーチリブに沿って3本の架設タワーを建て、タワーで3つ折れにしたアーチ部材を直下吊りするという変わった工法です。
架設工法参照;http://www.hsh.info/scavalsa.htm

断面を近くで見ると、外側はきれいな平面をみせていますが、2箱の内面はコの字型でパイプでブレースを組んでおり、BOXは形成していません。この辺は経済設計が理由でしょうか。ケーブルの定着構造がかなり弱そうに見えます。

もっとも現地を歩いてみて、経済設計を求めるなら、この三連の長大橋の存在自体が大きな謎でした。

  • この橋の近くでランプ橋が思い切り高速道路内の敷地を使っており、このような巨大なアーチ支間を飛ばす必要がない。
  • また、両端のループタワーの斜張橋も同じく、斜張橋の支間を伸ばすために広いラウンドアバウトを作っているように見え、同じくスパンを飛ばす必要がない。
  • 周辺は静かで、交通量も少なく、エキスポで作るようなモニュメントを見る人が少ない。

世界最大クラスの単弦アーチをどうしても作りたかったから作ってしまった。
楕円タワーの斜張橋を両側に並べたかったから並べてしまった。ような。

カラトラバやっちゃってます。

ということで、技術的にも非常に高度なアーチ橋ですが素直に感心する気持ちには少しなれない橋でした。
道路、歩道橋とも交通量は少ない。
うーん
場所はレッジオエミリアAV駅から東へ1.3kmです。歩く途中にバス停はありましたが、終バスは早く、ここまで歩いた後、在来線のレッジオエミリア駅まで行くタクシーを近くのホテルで呼んでもらいました。

2017年4月6日木曜日

エラスムス橋、場所を読み解く力

エラスムス橋、場所を読み解く力(1996, Lc=280m)

ロッテルダムのニューマース川に架けられた橋。行く前よりも実物を見て好きになった橋です。
デザインはUNスタジオ。UNスタジオはベン・ファン・ベルケル(Ben van Berkel)とカロリン・ボス(Caroline Bos)により設立されたアムステルダムの建築設計会社です。アジアでの設計事例も増えているようで、そのうち日本にも上陸するのではないでしょうか。
バックスパンは4本のケーブルでアンカーされています。
塔の下半分が橋軸方向に傾いていて、バックスパンのケーブルの塔の定着点は、塔の基礎位置よりもバックスパン側にあります。このためバックスパンケーブルの水平力だけでなく、鉛直力も、中央径間による塔基部回りのモーメントとつり合うように作用します。なので、ケーブル角度は通常の斜張橋よりも立ち気味です。

主塔上部で、中央径間側と側径間のそれぞれのケーブルが定着する範囲が異なるので、塔の部材に働く断面力が、曲げではなく、なるべく軸力で処理されるように、ケーブルの角度は塔の角度に近い立ち気味の角度の方が断面の設計上も都合良さそうです。
橋の片側にはレンゾピアノの設計によるKPNタワー。つっかい棒でビルを支えるようなこのビルの構造も強烈な印象を与えます。

エラスムス橋は跳ね橋とのことでどこが跳ねるのかと思ったら、バックスパンのケーブルのさらに岸側が跳ね橋になっているようです。橋の特徴的な形状とは関係ありません。
この橋のデザインは、もともとはそれほど好みではなかったのですが、周辺の構造物や景観を見ているうちに、主塔の高さや角張った形状、繊細というより剛な印象を与えるバックステイの存在が、周辺の景観に非常によく調和していると感じました。遺構として保存されているガントリークレーンごしに見ると、周辺の景色と一体で一つの景色を構成していると感じられます。

よい勉強になりました。
もっともWebサイトを見ると、強烈な曲線を多用したアンビルドなデザインも好きなようです。。
欧州の橋にしては主塔は太いように感じます。予想を超えるスケール感を感じたのは、このような経済効率からの解ではない構造が長大橋梁に適用されることは少ない、という先入観があったからかもしれません。
単純なデザインで骨太な部材。好みの形態です。

場所はメトロのWilhelminaplein, Rotterdam駅からすぐ。橋上を路面電車が走っていてアクセスは容易です。

旧東海道線揖斐川橋の塗り替え工事

旧東海道線揖斐川橋の塗り替え工事 (Lc=63.65=200フィート, 明治19年;1886)

英国錬鉄製の200フィートの橋梁で唯一原位置に残るトラス橋です。形式はダブルワーレントラス桁。2008年に重要文化財の指定を受けています。
基礎は煉瓦積井筒基礎。奥に旧御殿場線の橋梁を転用した樽見鉄道揖斐川橋梁が見える。

見学したのは偶然で、北方町生涯学習センターきらり(磯崎新、佐々木睦朗)を見た後に移動していて、トラスを一径間丸ごと覆った豪快な塗装足場が目に入り立ち寄りました。
おかげで面白い橋梁の歴史を学べたので幸運でした。
上下側面全てのトラス部材を囲むように組み立てられた塗装防護枠

工事の方の説明では、塗装工事により、建設当初の鳶色に塗り直される。本年度はこの1径間だけで来年度以降順次塗り直されるだろうとのことでした。
歩道を通しながらの工事なので、ケレン作業で発生する微粉末を完全に遮断したコンパネの覆いが採用されたのでしょう。部材ごとに覆いを付けた場合でも、トラス橋の再塗装は大がかりです。
塗料の飛散の心配もあり、上弦材の横構の有無は維持管理への影響が大きいなあと感じました。
丁寧な目張り。いい仕事してますねー。

旧揖斐川橋の建設は、内閣鉄道局四等技師長谷川謹介及び六等技手吉田経太郎を中心として進められ、上部構造は、イギリス人技術者、C・ポーナルの設計に基づきイギリスのパテント・シャフト&アクスルツリー社で製作されました。

明治期の鉄道トラスは、明治末年にトラスが国産化されるまで、欧米の橋梁メーカーの製作に依存しており、輸入元の構造的な特徴から英国式、アメリカ式、ドイツ式と呼ばれます。それぞれの違いはトラスの格点構造の違いなどから明確に分かれています。
英国式トラスの特徴で上下弦材と橋門の剛性が高い。

上流の樽見鉄道揖斐川橋梁は1900年に御殿場線に架けられたアメリカ式のトラスです。戦後の資材不足の中、単線化され使用停止されていた御殿場線の5箇所の橋梁が樽見鉄道に転用されたそうです。
下流の現東海道線の揖斐川橋梁は1961年建設の三代目。ドイツ式トラスとの説明もありますが、明治期の橋梁製作・輸入国ごとの特徴で語られるドイツ式とはまた異なる分類と思われます。

旧揖斐川橋の材料は錬鉄です。鋼が錬鉄に変わって構造材として橋梁に使われたのは1890年代ころからです。始めて鋼が橋梁に使われたのは1874年のアメリカのイーズ橋で、1890年のフォース橋は鋼製、1899年のエッフェル塔は錬鉄と、1886年の揖斐川橋はちょうど錬鉄と鋼の過渡期に架けられています。

この揖斐川橋の10年後の1896年に架設された常磐線隅田川橋梁(その後、新鶴見操車場の江ヶ崎跨線橋、さらに後、2013年に山下公園近くの霞橋として再生)は同じ英国製ですが材料は鋼製で、揖斐川橋で見られる英国式トラスの特徴である太い上下弦材と橋門で構成されるラーメンや、斜材のピン定着は見られなくなっています。材料の開発によって最適設計が変わった一例です。

ちなみにイギリス人技師ポーナルは隅田川橋梁が架設された1896年に帰国しています。

実は江ヶ崎跨線橋は子供の頃だいぶ渡った橋なのですが、こんな由緒のある橋だとは知りませんでした。ただの狭くて古い橋だと。。
揖斐川橋には丁寧な説明があります。
アイバーによる斜材のピン結合。引張材には2枚のアイバー同士をつなぐトラス組がなく、設計の考え方が見えて面白いです。

場所は東海道線が揖斐川を渡る所。近くにねじりまんぼと呼ばれるねじれた煉瓦積みによるトンネルがあるようです。大きさは同じくらいのぎりぎり乗用車が通れる幅のトンネルが橋梁の近くにあるのですが、出口が急カーブで行くのも引くのも出来ない状況になりあせりました。

参考;五十畑弘ほか、錬鉄・鋼移行期における橋梁材料に関する考察~旧江ヶ崎跨線橋200ftトラスの事例より~、土木学会論文集D2, Vol68,2012